ルンルン
クロアチアの首都ザグレブからヨーロッパで一番小さい国、スロヴェニアの首都リュブリャーナへ向かう。長く隣のオーストリアの支配を受けたせいか、バロック様式の建物の町並みが美しい。国境のパスポートのチェックも特に厳しいこともない。国際列車、バスいずれも頻繁にあり、約2時間半でリュブリャーナ駅およびすぐ近くのバスターミナルに移動できる。
バスターミナルから市内、長距離を問わずに行き先は番号で区分されているので分かりやすく、さらに正面上部に行き先が表示されているので間違うことはない。バスターミナルには、チケット売り場、売店、両替商、ATM、荷物預かり所、そしてこれは私が勝手に名付けたのであるが『よろず相談所』があり、コンパクトかつ合理的に組織された至れり尽くせりのターミナルである。
随分とバスターミナルを褒めたが、実はこれにはわけがある。恥ずかしい話であるが、まず勝手に名付けた『よろず相談所」について説明しなければなるまい。ザグレブからここリュブリャーナへスムーズに移動できたので、ルンルン気分でバスを降車。早速、明日訪ねる予定の郊外のポストイナ鍾乳洞へのバスチケットなどを窓口で購入した。バスチケット、鍾乳洞、…、をまとめて購入すればディスカウントされることなどを丁寧に説明され、気分良く、「ありがとう」。そして写真をパチリ、とカメラを出したところで…。いや、出そうとしたところで、焦った。カメラが無かったのである。周りの目を気にしながらデイバッグを広げて探したが、カメラが見当たらない。探した、無い。「大変だ。昨日までの旅の記録が…」。ここで、異常を察したのか、お助けマンが登場する。バスターミナルの最も入り口側の窓口から中年のスタッフが「どうしました?」、「私のカメラが見当たらない」、「どこで?」、「どこでって、それが分かったら…」、相手の好意には応えないで、私は一方的に何かしゃべっている。わがままな奴だ。…。少し落ち着いて、今朝、ザグレブとスロヴェニアの国境でバスの中から写真を撮ったことを思い出した。「バスだ。どこから乗ってきた?」。「ザグレブ」。このおじさんスタッフ、バスを特定して即座に電話してくれ、運転手をつきとめ、…、「17時にここに来てくれ」。「えっ。えっ、なに?」。「運転手がカメラを預かっている。今、他の観光地にお客さん達を送っているので、バスターミナルに16時30分に戻る」。「超サンキュウ!超サンキュウ!」。
ありがとうは続く
話はこれで終わらない。これで終わったら、『よろず』の冠は付けられない。「今日の午後、郊外のブレッド湖へ行くつもりだったが、私のミスで時間がない。明日はさっきチケットを買ったポストイナ鍾乳洞に出掛けるので、…」。言葉を遮るように、「ブレッド湖はいつも素晴らしいが、午前中が特に美しい。明日の朝早くブレッド湖に行き、明後日にポストイナ鍾乳洞へ行くことを勧めるよ。今日、夕方にカメラを受け取って、明日美しい湖の風景を撮ってきてくれ」。「リコメンド」と言われたからには素直に「OK」だ。
このお助けマンスタッフ、面倒がらずにさっき予約して支払いも済ませたポストイナ鍾乳洞観光一式をキャンセルして、改めて明後日に変更、明日のブレッド湖観光一式を発行してくれた。ある意味では商売熱心とも言えようが、それを言ったら二束三文。そのスマートさにあらためて「超サンキュウ、よろず相談所」
バスが便利
その湖面にユリアン・アルプスの最高峰、トリグラフ山が映し出される別称『アルプスの瞳』と呼ばれるブレッド湖へはバスが便利で、すっかりお世話になったバスターミナルの7番乗り場から出発である。昨日お世話になったお礼を言うために、というか張りきり過ぎて早朝に目が覚めてしまい、現在、7時でブレッド湖行きバスの出発待ちである。期待に応えたのかバスは快適な舗装道路53 キロメートル を疾走して、ブレッド湖の東側にあるバスターミナルに約1時間20分で到着する。
この湖は氷河により出来たことで有名だそうだ。周囲が約6 キロメートル ほどで湖岸に沿って整備された遊歩道を歩くと約2時間で一周できる、…はずであるが、方向音痴の私目はロスト・マィウエィで2時間半もかかってしまう。すれ違う湖畔巡りの馬車やレンタサイクルに乗った若者達に「ウォッツ、ハップン?」と声をかけられ、「ロスト・マィウエィ」なのである。どこに行っても、「ロスト・マィウエィ」と口に出さない日はない。医者に相談し、「何とかならないか?」は既に通り越して、今では「この方向音痴才能、役に立たないかなぁ」と居直っているのである。
さらに、私はかつてお会いしたことのある人の顔を見てもその人が誰だったか認識できないことがある。時間の経過には関係なく、10分前ににあったのに覚えていないのである。友人の医者に言わせると、「軽い相貌失認(そうぼうしつにん)」、俗にいう「失顔症」だという。「嫌な奴だな」と思った人の顔は特に忘れやすいので、そこに私の意志が関与しているのかもしれない。となると、「嫌な奴・私」は失顔症の人に忘れられているのかもしれない。思い当たることがあるような、無いような。
「ロスト・マィウエィ」に話を戻そう。例によって、人に道を尋ねる。せっかく教えてもらったのに方向音痴の途中に方向音痴になり、また尋ねる。このお方、不審な顔をしながら対応してくれる。そうです、おそらくですが、同じ人に2度道を尋ねたみたいです。ここでもまた、「超サンキュウ!超サンキュウ!」。
歩かないで船に乗ってみよう
ブレッド湖の中にある小島に船で向かう。15分で一周できるブレッド島が目的ではなく、湖に浮かぶ聖母被聖天教会(聖マリア教会)を観たいのである。島へは電動ボートかプレトウナと呼ばれる伝統の手漕ぎボートで行けるが、私が訪ねた時は乗り場が混雑をきわめていて、空いている方に乗るという状態であった。
北側に湖面から約100 メートル の断崖に建てられたブレッド城と白亜の聖マルティヌス教会が遠目に美しい。中世に建てられたスロベニア最古の城のひとつだそうだ。
そして、聖母被聖天教会である。島に上陸後急な階段を登った先にあるこの教会は、旅行記によると、8~9世紀に最初の教会ができ、17世紀に今の状態に改築されたそうだ。白い塔を持つバロック様式と紹介されている。鐘楼もあり、「鳴らすと願いが叶う」という伝説があるせいか、挑戦する人、記念写真を撮る人ありで混雑している。元々は若い女性が亡くなった夫の蘇生を願った城から鐘を投じたが、願いはかなわず、…、尼僧となり、…、ということなのですが、今は、Vサインでパチリ、である。
教会内部は荘厳な雰囲気で、祭壇には聖母被昇天像、その両脇に11世紀のブレッド領主ヘンリック2世と妻クニクンダの肖像が飾られている。
ポストイナ鍾乳洞は迷っても楽しい
ここスロヴェニアでは欧州に誇るものが色々あるが、私の好みからいうとポストイナ鍾乳洞が薦められる。ヨーロッパ最大級で、スロヴェニア有数の観光地である。
リュブリャーナ・バスターミナルからポストイナのバスターミナルまで高速道路を利用して約1時間20分。ここにツァリスト・インフォメィションⓘがあり、受付の若い美女が色々と貴重な情報をくれる。せっかく広場の位置を教えてもらったのに方向を間違って元の位置に戻ってきてしまったところ、この若き美女、今度は腕を組んで広場まで連れて行ってくれた。「方向音痴、万歳」である。
町の中心の広場からヤムスカ通りを約1 キロメートル ほど歩くと15分ほどでポストイナ鍾乳洞に到達する。後で分かったことであるが、リュブリャーナに戻るのに鍾乳洞からポストイナ・バスターミナルに行く必要はない。便数は限られるが、鍾乳洞から発車する便もあるので、歩きたくない人は時間の確認をされた方がよいと思う。鍾乳洞の入園チケットを窓口で求める際に、質問したところ、丁寧かつ親切に教えてくれた。
貴重な情報をもう一つ。旅行案内書にはリュブリャーナからポストイナに移動する際の交通機関の時刻表が載っていて、随分早い時間のものがあるが、肝心の鍾乳洞の入園チケットの発売やその後の見学開始時間などを考えると、大まかにはリュブリャーナのバスターミナル発8時過ぎのバスで十分である。但し、ハイシーズンは再度確認すべし、とのことである。
見学開始
ポストイナ鍾乳洞は長さ約27 キロメートル ととてつもなく大きく、現在、観光客に開放されているのはそのうち約5 キロメートル である。9時になり、チケット売り場の窓口が開いた。観光客がどっと並ぶと思いきや、個人観光客は意外と少なく、多くは団体客であった。鍾乳洞入り口では、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などと書かれたプラカ-ドを持った担当者が入場者に相当する言語の所に集まるようにアナウンスしている。いわゆるガイドツアーである。中国語が飛び交っていたが、入場者が多いせいか先に入場させている。「あなたの国のプラカードが無いですね」と話しかけてきたいかにもインテリという感じのドイツ人男性にドイツグループに誘われたが、私の第2外国語はフランス語だったのでドイツ語に疎く、お誘いを丁重にお断りして、その後、ストロング・アクセントの英語で話を楽しんだ。
英語グループに入れられたが、「こんにちは」、「ありがとう」は世界語である。ということは、私は日本人と認識されたようだ。「サバ」、「メルシー、ボク」とアドリブを入れてやったが、マダム、ムッシュー達は「ダイジョーブデスカ」と笑顔で応じる。
ネーム・タグを付けたガイドから大まかな注意というか説明がある。「ツアーの所要時間は約90分。黄色のトロッコ列車で洞窟の奥に1.6キロメートルほど進みます。トロッコ列車を降りてからは、1.5 キロメートル ほど歩きます。私についてきてください。何か質問は?」。
さて、乗車である。数人の係員が一人ひとりの乗り方を入念にチェックして厳しく安全を確認している。その理由は、出発後すぐに分かった。トロッコ列車は単なる移動手段なのでゆっくり走るのだと思っていたが、とんでもない。走ることには違いがないが、まさに疾走である。その加速度の凄さから、最初はエンジンに異常が発生しのかと思ったほどだ。前の席に座っていたおじさんは片手は鉄棒をしっかり掴み、片手は隣の奥さんにしがみつくようにしてビクともしない。大丈夫だろうか。私も怖がりの方だが、慣れてくるとふと思った。これはエンターティンメントだ。ライトに照らされた鍾乳洞の景色は美しく、次から次へと目を奪われるが、この鍾乳洞見学の目玉はトロッコ列車だと。片道10分も乗っていたのだろうか、15分だろうか、時間を忘れるほどエキサイティングでした。冷たい鍾乳洞の中なのに、トロッコ列車を降りる頃には汗びっしょりである。
で、肝心の鍾乳洞は
徒歩のコースである。トロッコ列車と逆で、全長約1.5キロを45分かけてゆっくり歩く。トロッコ列車を降りてからは汗が冷めてきたが、皆さんは興奮冷めやらぬ状態で、笑い声が聞こえてくる。さっき怖がって奥さんにつかまっていたおじさん、このたっぷりとお腹の出たマンジョーレおじさん、何故か英語グループに入っていたのだが、奥さんを従えて堂々と歩いている。
鍾乳石は、色も形も大きさも多様で、まさに美の饗宴である。色々な名前、一種のニックネームであるが、鍾乳石の外観を表すようにそれぞれに名前が付けられ、見学者の皆さん、その名前に納得のようである。鍾乳石の外観に対してお国柄による印象の差があると思っていたのだが、皆さんがガイドの説明に頷いているところを見るとあまり無いみたいである。興味があったのだが。
興味を引いたことが一つある。普通、光がない所での生物の生存は難しいはずだが、ここにはホライモリ(プロテウス・アンギヌス)という肌色の両生類が棲んでいた。光を発する写真撮影は禁じられたのでその姿をお見せできないが、ガイドの話だと、光が無く、かつ低温で暮らしているので、カロリー消費が極限的に小さいそうだ。勝手に解釈すれば、ある意味では冬眠状態にある生物なのでエサもほとんど必要無いわけだ。我が家の亀のように冬はただじっとしているわけだ。がんばれ、ホライモリちゃん。
じっとしているにはもったいない
リュブリャーナ初日にへまをやって最初に決めていた旅行計画が狂ったが、お助けマンやお助け美女に助けられてなんとか時間を回復できた。このような町で楽しまないでじっとしていてはもったいない、ということで市内観光に出掛けた。ところが、人出がとても少なく、なにか緊迫した雰囲気である。ミークロシッチェ通りなどの大きな通りに白いテントを張り、その中で通行人のボディチェックや機器による手荷物の検査をしている。詳細は分からないが、テロ対策なのだろうか。注意されるのを覚悟で数枚カメラに収めたが、停めてあったポリス・オートバイが格好良かったせいか、私のような不謹慎者が他にもいた。しようがないのでその辺りをうろうろして時間をつぶしたが、警察官は90分ほどで引き揚げていった。「よし、安全が保障されたぞ。行動開始だ」。
観光開始
都市の重要な構成要素に川があり、時には洪水によって甚大な被害を受けることもあるが、世界の大都市や美しいといわれる都市の多くは川にその魅力を依存している。ここリュブリャーナも現在の町の構成から言うと旧市街と新市街を分けるようにリュブリャニツァ川が弓状に流れている。川沿いに建つ美しい建造物は川によって引き立てられ、さらに直截な言い方をすればこの恵みを利用している。そう、川のボート巡りを数社が催しており、肉屋の橋から聖ヤコブ橋の間を45分から1時間の運行時間で€10となっていた。
そして、旧市街と新市街を繋ぐようにリュブリャナの中心に位置する三本橋(トロモストウイエ)は観光客に大人気であり、スロベニアの首都リュブリャナのシンボルの1つとなっている。中世の頃から欧州の西側とバルカン半島を結ぶ重要な交通路として都市機能を果たしてきたのである。
三本橋の名前の由来であるが、記録によると、…、専門的になってきそうなのでできるだけ簡単にしますので、もう少しお付き合いください。旅好きの、そしてヘリテージ好きの皆さんも、オットー・ワーグナー(Otto Wagner)をご存知でしょう。私の場合は、ウィーン在住の生粋のオーストリア人、40年来の友人がオットー・ワーグナーやクリムトなどが大好きで、その影響でオットー・ワーグナーについてよく聞かされます。オーストリア、正確にはオーストリア=ハンガリー帝国のウィーンで活躍した建築家、都市計画家であり、ウィーン分離派の中心人物の1人である。彼の作品は、マジョリカハウス、カールスプラッツ駅、ウィーン郵便貯金局等々、…、最後に、彼の名言「芸術は必要にのみ従う」。
そのワーグナーに師事したスロヴェニアの建築家、ヨジェ=プレチュニク(Jože Plečnik)によって、19世紀に建造された石造橋の両側に歩行者専用の橋が付け加えられて、そう、現在の計3本の橋になったのです。完成は1932年です。
三本橋からプレシェーレノフ広場
若者や観光客がたむろしている三本橋を渡って北へ進むと直ぐプレシェーレノフ広場である。非常に著名なロマン派の詩人、スロベニア人のプレシェーレンと文芸をつかさどる女神ムーサの銅像が建っている。いきなりですが、偶然を期待して、日本から持ってきたユーロの硬貨を探したが、プレシェーレンが肖像になっている2€の硬貨は入っていませんでした。そりゃそうだ、数年前にフィレンツェやローマを旅行した際に残った硬貨だもんな。
もう一つ、いきなりですが、出典不明のどなたかが日本語に訳したプレシェーレンの書いた『乾杯の詩』を掲載させてください。ポエムのかたちではない表示の仕方をお許しください。
「日が昇る所、戦いはこの世から消え、誰もが自由な同胞となり、境を共にする者は、鬼ではなく隣人となる。その日をまつ民、すべて久しかれ」。
独立後のスロベニア国歌に制定された詩です。
広場から歩行者天国チョポヴァ通り(Čopova ulica)には著名な百貨店やおしゃれな店が続き、賑わっている。
また、広場の北には広場に面してイタリアの影響を受けた曲線美のフランシスコ会教会がある。1646年から1660年に建てられたもので、ピンク色の壁やバロック様式のファザードが 大変印象的な教会である。その後、彫刻家のフランチェスコ・ロッバ(Francesco Robba)により祭壇が造られ、また、画家のマテイ・ラングス(Matej Langus)がアーチ型の天井に彩色を施した見事な内部空間が市民の礼拝を待っている。
ここも礼拝を待っている
リュブリャナ中央市場の近くにあり、喧騒の大通りから静かな小道に入った所に位置する聖ニコラス大聖堂は、緑のドームと肌色の外観が美しい上品な聖堂である。スロベニアにキリスト教が布教された事を記念して1708年に完成した大聖堂である。入り口の扉に施されたレリーフも独特で、多くの人達がカメラに収めていた。
この静かな佇まいの外観とは趣を異にして、内部はバロック様式というのだろうか、とても豪華で美しい。中にいる関係者によって訪問者への対応が違うのだろうか、私がいた時は撮影を禁じられていたため、あの豪華な美しさをご紹介できないのが残念だ。
ここは是非、お勧めしたいです
日本大使館から共和国広場を北に進むと国会議事堂、オペラ座、そして入場をお勧めしたいスロヴェニア国立博物館とスロヴェニア国立美術館がある。日本語版は無かったが、どちらも入場者には小さなリーフレットをくれ、私は英文のそれをもらったが展示物や作品を鑑賞するのに役に立つ。
博物館のリーフレットによると、紀元前680年頃のエジプトのミイラの棺、紀元前7世紀末のファッショナブルなプリンセスの金ペンダント、紀元前2世紀末から1世紀のチョーカー等々が展示されている。これらの女性のアクセサリーをデパートで観たら、確実に最新のデザインと思ってしまう、間違いなく。ついでのようで恐縮ですが。博物館には動物のはく製や鉱物の標本などを展示した自然史展示館が併設されている。
国立美術館で訪問客が集中していたのは、14世紀に作られたマリア像でした。この美術館は、印象派の作品もあるが、ある意味では『スロベニア』に特化している感じで、普段、他の美術館では鑑賞できない作品に触れることができる。
今日はここまで。夜は静かにしていよう。
夜は暇です
いつもの旅行だと、リュブリャーナのような芸術の薫り高い町では昼も夜も忙しいはずなのだが、今回は夜の催し物に恵まれず『平成の泣かせや』浅田次郎の新刊で夜を過ごした。この町にはこんなにオペラ、バレエ、コンサートなどの劇場やホールがあるのに滞在日と興行日程が合わなかったのである。毎年、1度で1か月を超える一人旅をしているが、凝り症の私目はオペラの興行に合わせて日程や訪問都市まで選択していた頃が懐かしい。
このところは極端に少なく、記録を見ると2016年3月に小学6年生になった孫と二人で欧州を旅行した際、3月26日にロンドンのライセウム劇場(Lyceum Theatre)でミュージカル『ライオンキング(The Lion King)』を観ている。『観ている』と気合の入らない書き方をしているが、ライオンキングもさることながら、このコヴェントガーデン界隈は通称コヴェントガーデン(正式にはロイヤル・オペラハウス(Royal Opera House, Covent Garden)に家族と足繁く通いつめたとても懐かしい場所なのである。
そして、2016年9月7日、中国は北京の中国国家大劇院で、欧州でなかなか観る機会がなかった、なんとプラシド・ドミンゴ(Plácido Domingo)でオペラ『マクベスMacbeth«麦克白»』を観ていたんですね。忘れていた。
困った。最近はオペラやコンサートには縁遠いと書くつもりだったのですが、旅行日程表を見ると、偶然ですが2016年には2度通っていたのですね。でも、弁解がましいですが、この原稿を書いている日から3年も前のことだし、…、いや、あの、…、昔ほど凝っていないということで引き取らせてください。
再びザグレブへ
日本からクロアチアのザグレブに入り、スロヴェニアのリュブリャーナおよびその近郊を観光し、次に一気にクロアチアのプリトヴィッツェ湖群を訪ねるつもりだったのだが、もう1度ザグレブを訪ねることにした。その理由は、「ザグレブのようなコンパクトな都市には普通、日本人は1日の滞在で他の町へ移るが、3日間も滞在するなんて、あなたはゆっくりですね。でもあそこに行かなかったなんて、もったいない」と英国流皮肉無しで教えてくれた日本通スコッティッシュがくれた情報のせいです。
私も今回の訪問で初めて知ったのですが、ザグレブの考古学博物館に誘惑されたのです。お気づきのことと思いますが、「…だ」から「…です」と表現が変わってしまいました。未知に対する、いわゆるリスペクトです。紀元前3000年から2000年頃の文化らしいのですが、ヴチェドル文化(Vucedol)というものがあって、それを代表する発掘品『ヴチェドルの鳩』と命名された鳩型の土器がザグレブ考古学博物館に展示されているというのです。
リュブリャーナからザグレブへ、そしてヴチェドル文化
ということで、今日はリュブリャーナからザグレブへ向かう。問題の『ヴチェドル文化』である。ザグレブの考古学博物館である。しっかりと思い出すと悔しいのでちょっとだけ思い出すが?、数日前に滞在していたザグレブのホテルから歩いてすぐの所に博物館はあったのだ。博物館大好きの私がなぜ見逃したのだろう。日本を出国して直ぐだったから旅行勘が戻っていなかったのだろうか。と、しっかりと思い出すと悔しいので、とにかく『ヴチェドル文化』だ。
「思い入れは冷静さを失う。失うと取り込まれる。取り込まれるのを恐れると、なお冷静さを失う」。科学する時の心得をこう説く人がいるが、天邪鬼なんだろうか、私は?。逆の発想で、「材料に惚れろ、入れ込め」。この場合の材料は、もちろん『ヴチェドルの鳩』である。『ヴチェドルの鳩』どうでした?その結果は?「うーん、そう言われても俺はその方面の評論家じゃないし」。…、と、突然、横から「Could I help you?」のいんぐりっしゅ。びっくりした私の顔は、まさに「鳩が豆鉄砲を食らった」ような顔をしていたでしょうね。声をかけてきたのは、ここの学芸員でした。彼の思い入れが伝わったのだろうか?鳩が描かれている20クーナ札を取り出して説明する彼の情熱に私は…?あーあ、楽しかった。
あっ、もう、もう一つ。ここに展示されている衣類、陶器などの発掘品、クロアチアの先史時代の文化、ぜひお訪ね下さい。