杭州から福州へ
D377次列車で杭州を08 :05に発ち、福州駅に13 :23に到着する。浙江省から福建省へ5時間余の行程で215元である。私は市街地にホテルを取ったが、駅近くのバス停から市街地まではK2路バスで行くことができる。
福州は、強力な経済力とネットワークで知られる『福建華僑』の故郷(僑郷)であり、「水の至る所華僑あり」と言われるように、中国における諸外国との交流拠点でもある。3泊する予定であるが、のんびりとブラブラしたい。
三坊七巷
福州の旧市街地を保存・修復した観光スポット『三坊七巷』は、その名前の通り、3つの通りと7つの路地で構成されている。三坊とは衣綿坊、文儒坊、光禄坊の3つの通りであり、七巷とは揚橋巷、郎官巷、塔巷、黄巷、安民巷、宮巷、古庇巷の7つの路地を言う。このエリアには明や清の時代に建てられた建物が保存され、あるいは修復されているため、旧市街地そのものが観光スポットになっている。
林則徐記念館
林則徐記念館は、1785年ここ福州市に生まれた郷土の英雄、林則徐を称える記念館である。1811年科挙に合格後、順当に出世していく。日本人にとっては、林則徐は、『アヘン』と戦い、英国との『アヘン戦争』敗戦の結果、『南京条約』を結んだ人物として記憶されていよう。後年、欽差大臣(特命全権大使)として広西の『太平天国』の鎮圧に赴く途中で病死する。1850年である。
烏石山(うせきざん)風景区
『三坊七巷』の南側に位置する南門兜を抜けると、烏石山(うせきざん)風景区と呼ばれるエリアがある。市政府も近くにあるせいか、人出が多く、ブラブラする観光客も多い。
西禅寺と報恩塔
西禅寺は867年(唐の咸通8年)に創建された大小36の建築物から成る壮大な寺院で、福州五大禅寺の一つである。現存する建物の多くは清の光緒年間(1875~1908年)のものである。
ひと際目立つ報恩塔は、1990年に建てられた高さ67メートル、15層の仏塔で、ここから寺全体を見渡すことができる。
鼓 山
今日は、福州のちょっと郊外、町から東に約8キロメートルの『鼓山』に向かう。土地が酸性で、「お茶」、「みかん」、 「馬尾松(ばびしょう) Pinus massoniana 」 などが多く、また花崗岩の多いことでも知られる。植物のお好きな方のために、 種形容語massonianaは、 ロンドン の キューガーデン(Kew Gardens) のプラントハンター であるフランシス・ マッソン(Francis Masson)(1741~1805)に因む。『 キューガーデン』は、私も在英中に家族とともに何度も訪れたものだが、2003年にユネスコ世界遺産に登録されている。
旅に戻ろう。 『鼓山』 近くにバスターミナルもあり、方向音痴の習性で、ホテルに戻る時のために、鼓山のバス停からの運行経路の看板を写真に撮っておく。
前もっての情報で、鼓山の海抜は969メートルと徒歩にはきついが、ケーブルカーがあることを確認してあるので、大丈夫だ。ところが、問題が起きた。ケーブルカーは運行停止中で、そして焦ってしまって、ここから鼓山の中腹、自雲峰の麓にある涌泉寺(ゆせんじ)までの直通マイクロバスがあるのを忘れて、古道(2145段)をテクテク歩く羽目になる。大失敗だ。もう、ここまで来たからには、戻るに戻れない、頑張るしかない。何故か、今回はお助けマンがいない。
折角登場したのだから、『涌泉寺』の昔話をご紹介したい。「涌泉寺の建立前、鼓山には「華厳寺」というお寺があった。ところが、当時、悪竜が住民にさんざん危害を加え、苦しめていた。そこで、当時の地方長官が当時の名僧、霊矯法師を招いてこの地に寺を建てて悪竜退治を依頼した。法師は「華厳経」というお経を唱えて悪竜を倒し、人々を苦しみから救った」というお話である。もう、お分りですね。人々はそれを記念してそのお寺を「華厳寺」と呼ぶようになったのです。
その後、西暦908年、ビン王・王審知(862~925年)が創建したと伝えられ、明の時代、1407年(永楽5年)に現在の名前に改称したということである。
于山風景区
三坊七巷の東側に位置する于山(うざん)風景区は、福州市の中心である五一広場のすぐ近くにある。海抜58.6メートル、面積は11.9ヘクタールの小高い于山(旧名は九日山)があり、そこから福州市内を一覧できる最高のビュースポットである。パンフレットによると、春秋戦国時代(475BC-221BC)に『于越族』がここに住んでいたことから、この地を于山と呼ぶようになったとある。また、 定光塔寺( 俗称、 白塔寺)境内にある 定光塔 ( 俗称、白塔)は、904年(唐の天祐元年)に王審が亡母のために建立した7層8角の仏塔 である。清代に再建された 。 現在、福州市博物館になっている。
辛亥革命の略記
日清戦争以後,清(中国)が列強諸国に侵略されて国力を失っていく中で,清に変わる近代国家をつくろうとする革命運動が起きた。その中心となったのは、『民族主義(民族の独立)』『民権主義(政治の民主化)』『民生主義(民衆生活の安定)』の「三民(さんみん)主義」を唱えて,立ち上がった孫文である。1911年,湖北省の武昌で起きた軍隊の反乱をきっかけに革命運動は全国に広がり,多くの省が清からの独立を宣言した。この時の干支(えと)が『辛亥』だったことから、『辛亥革命』と名付けられ、翌年の1912年に、孫文を臨時大総統とし,南京(なんきん)を首都とするアジアで初めての共和制国家『中華民国』が樹立された。私達が学ぶ『世界史』に最初に登場し、古代から続いてきた君主制が終わり、1912年は元号も変更されて『民国紀元』の元年になったのである。
福州西湖公園
福州西湖公園は福州市の北西にある臥龍山に位置する。敷地面積42.51ヘクタール、陸地面積12.21ヘクタール、水上面積30.3ヘクタールと記録されている。約1700年前に農業潅漑用として造られた人工湖である。現在では市の中心から簡単に訪れることのできる観光スポットとして、多くの市民が集まる場所でもある。
西湖公園の見どころは庭園で、中国の著名な観光地でよく見られる風景で、小島をつなぐ橋を配置したアレンジメントが際立つ。