中国・福建省 泉州

武夷山から泉州へ
 まだ、ユネスコの世界遺産(文化と自然の複合遺産)の町、武夷山にいる。午前中に9ヶ所の湾曲からできた『九曲渓』9.5キロメートルの筏下りを楽しんだ。天気にも恵まれて、両岸の奇峰を眺めながらの1時間半は至福の時であった。今日は、これからホテルに移動して荷物を受け取り、『泉州(せんしゅう)』に向かう。バスで6時間(177元)のちょっと長い移動時間である。そうは言っても、山が多くて鉄道よりもバス路線が発達している福建省内の移動には、とても便利な移動手段である。バス停は、『福州』からここに来た時に降りた『武夷山度假区バスターミナル』である。チケットもあらかじめ買ってあるので、1時間は遊べる。
 私は、今何をしていると思いますか?しているのではなく、してもらっているのですが。中国語のできない外国人に英語で『筏下り』の説明をしているバイトの女子大生に、無料で奉仕をしてもらっています。素肌美人の多い中国人の中でもとびっきり美人の女子大生は、日本の文化にとても興味を持っていて、私の肩をもみながら私と「三島由紀夫」の話をしているのです。読者の皆さん、難しい質問はなさらないでください。私は、とても忙しいのです。

泉州の歴史
 泉州は、古くからの港町で、南宋から元朝にかけては、ベトナム、インド、アラビア半島などにつながる泉州を起点とした海上交易ルート(海のシルクロード)で栄えた。マルコ・ポーロの『東方見聞録』でも泉州の繁栄が記録されているそうである。貿易商人を中心とした人々が集まれば、そこに出身地の生活習慣や宗教が持ち込まれて必然的に定着していく。インドやアラビア半島などから来たイスラム教徒が泉州に多く住んでいたことから、モスクや清浄寺のようなイスラム寺院が残っているわけである。
 現在、『陶器の道(海のシルクロード)』と呼ばれるような貿易港は存在しないが、経済都市としての基盤は残っていて、泉州出身の華人や華僑と呼ばれる海外居住者は1600万人を超えると言われている。今回は、このような歴史があり多様な文化を持つ泉州を楽しもうというわけである。

崇武古城
 泉州市は、1300年の歴史がある開元寺や、これまた歴史あるイスラム寺院の清浄寺、関帝廟などの見所が多いが、私のやり方で先ず郊外の 『崇武古城風景区』に向かうことにする。泉州バスターミナルから11番乗場の『崇武』行きに乗り、終点で下車、約1時間ちょっとの乗車で13元である。ここからが重要である。海岸沿いに10分ほど歩くと古城に着きます。「遠い」などと言って法外な料金を要求するバイクタクシーには乗らないように気を付けてください。歩いても大した距離じゃないです。
 崇武古城(すうぶこじょう)は、泉州湾を囲む崇武半島の先端にあり、台湾海峡に面している城郭である。度々、このエリアを撹乱(かくらん)する『倭寇(わこう)』に対抗するために、明の時代の1387年に築造された城郭都市は、北は山東省から南は広東省まで海岸沿いに沿海防衛施設を築造した。ここで、『倭寇』とは、日本の海賊等とする諸説があるが、ここでは、中国や朝鮮が恐れた外来の海賊としておく。
 明の時代に尖閣諸島に防御線をおいて倭寇と向き合った将軍「威継光」の巨大像が海を睨らんでいた。彼は中国人を父に日本人を母に生まれた人物で、泉州出身でもある。
 600年以上の年月と戦火でこの“海の万里の長城”のほとんどは、破壊されたが、崇武古城だけはほぼ往時のままの姿で海辺に残っている。すべて花崗岩で築造された城壁の内側には、古い街並みである老街が形成されている。旅行記によると、ここには容姿が美しいことで有名な「恵安女(けいあんめ)」と呼ばれる女性達のユニークな習俗が残る“恵安女の民俗風情保育区”があると紹介されていたが、見ることができなかった。そして、彼女達は家事は言うに及ばず、とても勤勉な女性達だというから、かさねがさね残念であった。
 この種の話のついでに、娘と二人でイランを旅行中にテヘランのタクシーの運転手に聞かれた話を思い出した。「イランの男が欲しいものを3つあげよ」。①「イギリスのパスポート」;確かに、ほとんどの国へ行けるな。②「アメリカのドル;うん、どこへ行っても通じる基軸通貨みたいもんだもね」。「納得、そしてもう一つは?」。…、「日本人の嫁さん」。??。娘が横にいたからではない、「そうだね」と、…。

泉州郊外の崇武鎮にある崇武古城風景区入口
崇武石彫工芸博覧園
城壁は1387年(明の洪武20年)に造られた
花崗岩を使用。基礎の幅5メートル、高さ7メートル、全長2455メートル
倭寇の攻撃に対抗し明王朝が築いた「海の長城」とも言われた防御施設の一部
古城南側の彫刻公園に立つ鄭成功(てい せいこう)の象。台湾と中国の共通の英雄として名高い軍人。泉州市出身
海門亭
南門から崇武古城に入る
崇武古城風景区
崇武古城風景区を見学後、街歩きをしていて遭遇した漁船

清浄寺
 泉州市街の南部にある『清浄寺』は、中国最古のイスラム寺院であり、1009年(北宋時代の大中祥符2年 、イスラム教暦400年 ) に創建され、創建者と修復者はみなアラブのイスラム教徒であると言われている。 艾蘇哈子大寺とも呼ばれ、市内の涂門街に位置している。私は訪ねたことはないが、シリアのダマスカスにあるイスラム礼拝堂をモデルに造られたと言われている。高さ約20メートル、幅約45メートルの三階建てのアーチ型に尖った大門は、輝縁石と白い御影石の組み合わせで造られ、アラブ・イスラム建築様式( 西アジアの建築様式 )を取り入れた11世紀初頭の建築である。

清浄寺正門。1009年(北宋の大中祥符2年)に建立された中国を代表するイスラム建築
シリアのダマスカスにあるイスラム礼拝堂をモデルにした清浄寺
モスクの中で礼拝する時、聖地メッカの方角を示すミハラブ(くぼみ)

 『関岳廟』は、清浄寺から100メートルほど離れた場所にある。元々は、関羽(関帝)を祀る『関帝廟』だったが、南宋時代の悲劇の英雄である将軍・岳飛も祀るようになったことから『関岳廟』と名前が変わったそうである。中国はどの地域に行っても『三国志』の人気は高く、観光スポットになっていて参拝客で溢れかえっている。

関帝廟 ( 関岳廟 )
名馬「赤兔馬」と 関羽
雪青騏驥(白馬)と 岳飛
占い師?左手の100元は何を意味するのだろう

開元寺
 開元寺は、泉州市の北西部にある福建省の中でも最大規模を誇る仏教寺院で、1300年の歴史がある。建物は、全国重要文化財に指定されており、泉州の有名観光スポットとなっている。
 「官寺(かんじ)」と言う言葉をご存知かと思います。色々な定義があるかと思いますが、読んで字のごとく、「国家の管理・監督を受ける代わりにその経済的援助を受けていた寺院」のこととしましょう。これから訪ねるここ泉州の『開元寺』は、唐の玄宗の命によって738年(開元 26年) に全国各州に設置された官寺である。裕福な財政をバックに、福建省最大の敷地を誇り、建物の各所に古代インドの神話に基づく彫刻が彫られている。
  実は、掲載した写真のうち、1枚はカメラに入りきらずに、2枚を合成したものであるのでオリジナルとは違った形になっている。写真の対象(被写体)が繊細な芸術作品と言われたら弁解の余地はないが…。そしてもう1枚は、合成ではなく、高さ48メートルの東塔『鎮国塔』と高さ44メートルの西塔『仁寿塔』のいわゆる「双塔」というべき2塔のうちの1塔である。楼閣式石塔で、圧倒的な大きさが感じられると思う。

開元寺にある樹齢300年の榕樹(ガジュマル)
大雄宝殿内に安置されている大日如来像
開元寺の鎮国塔
開元寺の全景 (写真2枚の合成)鎮国塔 (右側)