福建土楼群観光のスタート
約6日間滞在予定の厦門であるが、半分の3日間はここからバスで2時間半くらいで行ける龍岩市の永定区を訪ねる。永定と言っても「あること」に興味を持っていなければ、ほとんど知られていない地域である。「あることとは?」。ヒントは「客家(はっか)」である。「客家」の定義は多岐にわたり、一言で語るには難しいが、ここでは「黄河中下流域の中原に住んでいた豪族」としておこう。幾度となく戦乱にみまわれ、一族で南に逃れてきた人達である。もったいぶって、もう一つのヒントは「建築物」」である。「客家」+「建築物」= 客家独特の建築として有名な『土楼』である。読んで字のごとく「土で作った大きな住居」のことだ。今様に言えば、「集合住宅」か。
2008年7月にユネスコの世界遺産に登録されている『福建土楼』への行き方は色々あるが、見所が分散しているので、厦門旅游集散センター発着の土楼ツァーが良いと、ホテルのマネージャーから勧められた。中国人観光客を対象としたツァーではあるが、私の今までの中国国内旅行の経験では観光客の中には英語を話せる人もいるし、旅游集散センターとホテルの間は出迎えがあるツァーなので安心できる。ちょうどよい具合に、Aコース「田螺坑土楼群(でんらこうどろうぐん)ツァー」、Bコース「永定高北土楼群(えいていこうほくどろうぐん)ツァー」、Cコース「永定土楼民族文化村(洪坑土楼群景区(こうこうどろうぐんけいく))ツァー)」と3種類あったので、3日間を予定した「福建土楼群観光」と日程的にもぴったりだ。予約をお願いした。
田螺坑土楼群景区
福建土楼群観光のスタートは、黄(ホアン)一族の土楼が5つくっついている『田螺坑土楼群景区』である。ここには、『田螺坑土楼群(でんらこうどろうぐん)』、『裕昌楼(ゆうしょうろう)』、『塔下村(とうかむら)』の3ヵ所の観光スポットがあり、景区専用バスが周回している。まず、田螺坑土楼群の下景観台から上景観台へと移動する。ここから見下ろす景色は、「四菜一湯」のニックネームが付けられていて、田螺坑土楼群の中で最も有名な風景である。真ん中に歩雲楼と名付けられた方楼(四角形の要塞型)があり、囲むように3つの円形の和昌楼、振昌楼、瑞雲楼と楕円形の文昌楼が囲んでいる景色は、5つの土楼が梅の花のように見えるのである。もう、お分りですね。和食の献立は、主食・汁物・おかず三品からなる「一汁三菜」に対して、中華料理は、おかず四品にスープ一種類の「四菜一湯」の構成になっていますね。したがって、 『田螺坑土楼群』は「四菜一湯」のニックネームが付けられてい るんですね、ハイ。
4枚目の写真に見られるように、3階建てであり、ガイドの話によると5楼全体で39世帯数だそうだ。2008年11月に世界文化遺産に登録されている。
もう一つ。ガイドから聞いた話を紹介させてください。1960年代後半、アメリカはこの『田螺坑土楼群』を核ミサイルのサイロと間違えたそうです。核ミサイルのサイロ自体を見たことがないので、コメントできないが、そう言われると、何となく…。
和昌楼
和昌楼は、1354年頃(元代の末~明代の初め)に建設された時は方楼だったが、1930年代に戦火で損壊した後1953年に黄氏により円楼として改築されたそうだ。
裕昌楼
『裕昌楼』は『田螺坑土楼群』から北西へ約5キロメートル離れた下版寮村にあり、元朝中期(1308~1338年)に劉氏により建設された南靖最古の円楼である。高さ18.2メートルの5階建て、各階に54部屋、合計(54 x 5 = )270部屋があるというから、現在でも相当大きなマンションに匹敵する。円楼のスケールが大きいばかりではない、側(そば)を川が流れていて、のどかな風景が気持ちを休めてくれる。劉氏一族25代が暮らし、現在でも20世帯暮らしているそうだ。
この円楼は、「東倒西歪楼」とも言われている。文字通り、1308年の建立中の測量ミスでひずみが生じたため、柱を傾けてその補正をした結果、3階と4階をつなぐ支柱構造がジグザグになってしまい、最大傾斜角は15°に達するという。学生時代に習った「軸応力」、「座屈」、「クリープ」などの専門用語が頭をかすめる。かすめる程度だから、遊びに影響はない。でも、ちょっとだけ。「変形させることによって全体の力学的安定性を保つ技法はさすがである」。
中庭には祖廟があり、祖先崇拝、祭祀、結婚式、葬式などの集会所となっている。
徳遠堂
『裕昌楼』、別名「東倒西歪楼」の柱が傾斜していながらも倒壊しない(あるいは傾斜させることによって倒壊を防いでいる)力学をまだ考えている。ツァーバスで移動中だったのだが、ボーっとしていて、ツァーメイトに「塔下村だよ」と、降車を促される。『塔下村』に何があるのか知らなかったが、「土楼水郷」、「高山水郷」、「山郷周荘」などと呼ばれる片道2キロメートルほどの渓流沿いの道は、まさにぶらぶら歩きにぴったりの雰囲気である。
そして目に入ったのが、石の旗(石龍旗杵)が立っている奇景で有名な廟『徳遠堂』であった。徳遠堂は客家の一族である張氏の家廟で、20本の『石龍旗杵』は、一族の中から科挙に合格し進氏(役人)と挙人(時代によって定義が異なるが、 進士の試験に応募資格のある者 )になった人が、一本ずつ建てていった結果だそうです。多くは清代のものだそうです。
この辺りのこと、話を続けると 愛読書である『魯迅』の『 阿Q正伝』に言及したくなるので、暴力的に中断させてください。私の魯迅への傾倒は、本ブログ-新旅行記・アジア-中国・浙江省-紹興にちょっとだけ書きました。
永定高北土楼群
福建土楼巡りの2日目は、Bコース「永定高北土楼群ツァー」である。厦門など各地から来た交通車両は、まず福建土楼永定景区の『高北旅客センター』に行き、ここから周辺の土楼へバスあるいは徒歩で向かう。多くの人が集まるので、簡単な食べ物、お土産類などが売られている。
ここにある『承啓楼』は、敷地面積は5376平方メートル、直径73メートル、外壁の円周229メートルに達する巨大な土楼で、福建省最大の土楼である。江修正氏によって1709年(清の康煕48年)から3年かけて建造された土楼である。
構造的には多重の円楼形式になっており、外側の主楼の内側にさらに三重に円楼があり、その中心に祖堂が配置されている。主楼は4階建てで、外円部には、各階に72の部屋がある。1階には台所と食堂、2階は倉庫、3階と4階は寝室になっている。全てを合計すると400室におよぶという巨大な建物である。現在でも江氏一族の60数世帯、400数人が住んでいるという。内円部は平屋建てで、3重目と2重目には合わせて80の部屋があると説明された。主として、家畜小屋やトイレなどに使用されているようだ。
確認はしていないが、1元切手の図柄にもなっているそうである。また、民宿も可能で50元ほどで1泊できるそうだ。
振成楼
「客家土楼」という集合住宅巡り最終日は、Cコース「永定土楼民族文化村(洪坑土楼景区ツァー)」である。厦門旅游集散センター発のバスは、「福建土楼客家民族文化村」と書かれた大きな建物の前に到着。結構な人出である。
私達の目的は、別名『八卦楼』あるいは『土楼王子』の異名を持つ『振成楼』の見学である。『八卦(はっけ)』が出てきたが、本ブログ“方向音痴の旅日記“に何度か登場した『八卦思想)』に基づいて建てられたためである。気になる方は、例えば、新旅行記・アジア-中国・四川省 成都郊外(1)~青城山・都江堰~の項をご覧ください。
『振成楼』は、1912年から1917年にかけて作られた4階建ての二重円楼で、その直径57.2メートル、高さ16メートル、敷地面積5000平方メートルである。『八卦思想)』を基本に、『一庁二井三門四梯』の建築構造を持つ。円楼の外側は主楼と呼ばれ、8等分された「掛」(ブロック)x 6室 = 48室、内側も合わせて全部で222室にもなる。注目すべきは、掛と掛の間に防火壁があって延焼を防ぐ工夫がなされ、かつ侵入者対策としても有効だということである。
この土楼は「林上堅」の孫に当たる「林鴻超」によって築かれたそうである。ガイドの話だと、「林上堅」はタバコ販売業者として成功し、財を成した人物である。洪坑土楼群には彼とその息子によって建てられた総面積7,000平方メートル後方主楼が5階にもおよぶ永定県最大の府第式方楼『福裕楼』がある。