中国・雲南省 昆明郊外(3)~九郷風景名勝区~

 昆明3日目の観光は、市内から東北東に約90キロメートルの宣良県にある『九郷風景名勝区』である。幸いなことに、昨日訪れた『石林』と同じように、昆明の東部バスターミナル(昆明市東部汽車客運站)から出発して『宜良』に行き、そこで乗り換えで目的地の『九郷風景名勝区』に行くことができる。「さて、腹ごしらえだ」というか、もう皆さんご想像のように、昨日利用した東部バスターミナル前の超美人お姉さんの屋台風食堂へ向かう。昨日は、時間が無いので、最も簡単な麺を頼んだが、今日は早めに来て時間のかかりそうな「???」を頼んだ。満足。どうして中国人は「素肌美人が多いのだろう」。
 お姉さん(の料理)に満足して、スキップしながらバスターミナルの『宜良』行きのレーンに向かい乗車、18元である。相変わらず定時制は守られていて、時間通りに乗車後約1時間で終点の『宜良』バスターミナルに着く。立派なバスターミナルで、観光客がその前に建つ時計塔の写真を撮っている。私も観光客なので、記念の写真を撮った。ここから21路バスに乗って、所要時間約50分で目的地の『九郷風景区』に着く。10元である。

昆明東部バスセンター7時40分発宣良9時着のバス切符18元
宣良バスターミナル
宣良バスターミナルの時計塔
宣良9時20分発九郷10時20分着のマイクロバスのチケット10元
『九郷風景区』到着したマイクロバス

九郷風景区
 九郷風景区は、「地上石林、地下九郷」と言われるように、地下の巨大な鍾乳洞が目玉である。エリア内の洞窟は100以上もあり、また遊歩道の長さは約5キロメートルと長い。
 先ずは、救命具を付けて、蔭翠峡を小さな手漕ぎボートで往復800メートルほど往き来する。ベニスのようにカンツォーネのサービスは無いが、かわりに不動のどっしりとした石岩が、揺れる川面に映る美しい姿は、ここでしか味わえない至福の時である。そして、川面を渡る風を受けながらの手漕ぎボートの揺れが心地よい。

地質公園博物館
何の木でしょう?
エリア内にある洞窟は100を超え、遊歩道の全長は5キロメートルに達する
先ずは蔭翠峡を手漕ぎボートで往復800メートルほどを 往き来する
蔭翠峡の大文字
美しい風景が連続する
映像になった場所の写真を壁に掲げてある
遊歩道を歩く
めったに見られないストロマトライト(stromatolite)。藍藻(らんそう)類の死骸と泥粒などによって作られる層状の構造をもつ岩石である
ライトアップ

ユーモアたっぷり
 この辺りまで来ると、次々と特徴のある風景が続き、カメラが忙しい。一緒になるわけではないが、なんとなく近づき過ぎず、離れずに歩いていた同年配に見える紳士が、立ち止まって肩をすくめるジェスチャーで、「ファニー」と言って笑った。私も「ファニー」と言ってしまった。『仙翁酔臥』である。読んで字のごとく、仙人が酔って寝ている姿である。「こうありたいね」。二人は同時に英語で言ってしまって、同時に笑ってしまった。
 「神女宮」と呼ばれるライトアップされた鍾乳洞のけばけばしさに閉口しながらも歩みを進め、明るい場所に出たので、腕時計を見た。そして二人とも、また同時に笑ってしまった。彼も腕時計を見ていたのだ。「ジャスト…」。
 まさに12時00分、ランチタイムだった。30分くらい楽しい時間を過ごした。私は日本人、彼は北京在住の中国人、「共通語は英語」か「たどたどしいフランス語」と言いたいところだが、彼は古き良き時代の方々が使う「美しい日本語」を完璧に話した。色々なことを話したが、話の中心は『仙翁酔臥』がスタートだったせいか、「仙翁が飲んだのは、マオタイ酒だったかどうか」となってしまって、私はほとんど聞き役だった。但し、「ヴァン」と「スカッチ」は引き分けだった。
 彼は文学部出身で、しかし、スマートな方で、「あなたは工学部か」と言い当てた。そして、相当以前にここを訪ねたことがあるらしく、「是非、『リムストーン』を訪ねて下さい」と助言された。「あなたなら理解されると思いますが」と言って、彼が教えてくれた情報を要約する。
 鍾乳石(炭酸カルシウム)を豊富に含んだ水が水溜まりを作ると、ヘリの部分に炭酸カルシウムが結晶化して堤防のような壁ができる。これを繰り返して棚田のように小さな池が階段状に重なり合っていく。畦に当たるところをリムストーン(畦石、輪縁石)と言い、とくに、曲線的に長く伸びるリムストーンを英語では「Chinese Wall(万里の長城)」と表現している。

仙翁酔臥(The Sleeping Drunk Celestial)。読んで字のごとく、仙人が酔って寝ている姿である 。まさにユーモラス
ライトアップされた「神女宮」と呼ばれる鍾乳洞。洞窟の天井面から鍾乳石が垂れ下がっている
『神女宮』洞窟の近くにある休憩所 。ここで食事した
渦旋壺穴(Vortex Pothole;流れの渦が造った壺状の穴)
叠虹橋
棚田のようなリムストーン。鍾乳洞内にあるリムストーンとしては世界最大と言われている
 
ライトアップされた独秀峰。長期間石灰化した沈殿物によって覆われた落石から発達した。高さ5.4メートル、胸径4メートル
Bending Stalactite 鍾乳石(しょうにゅうせき)
出口からケーブルを使って登りのメインゲートへ戻る

のんびりいこう
 景区の中心から離れると、小さな店、レストラン、駐車場、トイレなどがあるのんびりとした村である。私は帰りの『宣良』行きマイクロバスの出発を待っているのであるが、運転手はマージャン(麻雀、Mahjong)の最中である。対面のおばさんは、「萬子(マンズ)のイッキツウカン(一気通貫)」を狙っているぞ、気を付けろ」。まだ、テンパっている人もいないので、もう少し時間がかかりそうである。私流旅行では、これも大切な旅の思い出なのである。「おじさん、おばさん、ありがとう」。

この小さな案内板が旅人には結構役立つのである
宣良行きバスの出発を待っているが、運転手は麻雀の最中である

中国・雲南省 昆明郊外(2)~石林風景名勝区~

石林風景区のガイダンス
 今日は、昆明市街から南東に約80キロメートルの『石林風景名勝区』を訪ねる。ブログのどこかで書いたのだが、日本人にとって、漢字はとても便利な表意文字である。中国語の「読み書き」が全くできなくても、何となく、一部ではあるが、そしてたまには誤解をしてしまうが、「石林」は石の柱が林立した風景」をイメージできること、まさに「読んで字のごとく」である。
 私は、土木に関する研究に従事していたことから、ここ石林を有名にしている『カルスト地形』なる用語についても、抵抗が無い。石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地がヒントである。ここの地形は、古生代後期の地殻変動によって海が隆起したことから、その石灰質の岩面が上部に出てきて、その後、削られて造られたものである。つまり、海の底が隆起して石灰岩からなる陸地となり、その後の風化と浸食によって、石の柱が林立する『石林』になったのである。結果として、この奇観を呈する石林は、2004年に『世界地質公園』と認定され、2007年にユネスコの『世界自然遺産』に登録されたのである。総面積は1100平方キロメートル余りで、そのうち約350平方キロメートルが保護エリアとなっている。
 石林風景区は大石林景区、小石林景区、歩哨山景区、李子園箐景区、万年霊芝景区などで構成されているが、多くの人は、『大石林景区』、『小石林景区』を回るようで、それだけでも見応えがあるし、時間もかかる。

石林風景名勝区へ
 石林風景区へは、ツアーを利用したり、タクシーをチャーターする方法があるが、帰りの集合場所や時間のトラブルが起きるので要注意である。タクシーを使って、『石林風景名勝区』と『九郷石林風景名勝区』の双方を1日で廻って900元というのもあったが、私は時間制限が無く、『九郷石林風景名勝区』は明日訪ねる予定なので、例によって「勝手気まま・最安旅行」を選んだ。バスの利用である。昆明東部バスターミナルは、大きく近代的な建物で、行先を表示した郊外行きのバスが並んでいる。『石林風景区』行きの片道27元のバスチケットを買って、乗車して1時間半で終点。実に簡単である。「方向音痴のお前が言うな」と叱られそうだが、それほど簡単なのである。
 朝早かったのだが、東部バスターミナルの前には麺類や饅頭の店が湯気をたててお客を待っている。簡単なものもあれば、雲南名物の汽鍋鶏など、本格的な料理も用意されていた。時間が無いので、最も簡単な麺を頼んだが、お腹がすいていたせいもあるが、温かい麺は美味かったー、安かったー。もう一つ。お姉さんが超美人だったので、帰りも寄った。違う人だった。何も食べないで帰ってきた。
 この種の観光資源についての余計な説明は、皆さんには煩わしいと思いますので、ここからは写真を並べさせていただきます。

とても立派で大きい昆明東部バスターミナルの集票庁
昆明東部バスターミナルから、朝5時半出発の石林風景名区行きバスに乗車した
1時間半ほどで風景区のバスターミナルに到着して、石林風景区へ移動するバッテリーカー乗り場へ移動する
チケット売り場、ツァー・ガイドセンター
風景区へのバッテリーカー乗り場。人気の観光地だけあって観光客が列をつくって待っている
石林は2004年に『世界地質公園』と認定され、2007年にユネスコの『世界自然遺産』に登録された
参道には、石林イ族自治県のイ族の露店が連なる
ばあちゃん、頑張れ
大石林景区
「石林」と彫られている石林勝景
望峰」と名付けられた東屋が見える。ビューイング・スポットである
望峰亭から見た大石林景区
アンモナイトの化石を見るために列をつくっている
次々と触るせいか、表面がつるつるだった
私にはゴジラに見える
青い民族衣装を着た石林イ族の人達の踊り

石林の最後を飾るにふさわしい悲恋物語
 『大石林』と比較して観光客が少ない東側にある『小石林』の中で、人気があるのが『阿詩瑪(アシマAshima)』と呼ばれる石峰である。阿詩瑪石という巨石が阿詩瑪伝説の基となったのであろう。話はこうである。
 アシマはサニ族の伝説の少女で、阿黒哥という恋人がいた。ところが、地主の息子が横恋慕し、アシマを連れ去ってしまった。阿黒哥は艱難辛苦の末に、恋人アシマを助け出したが、地主の息子は二人を溺死させようと川の堰を切る。哀れアシマは水の底へと消え、残された阿黒哥がアシマの名を呼ぶとアシマの姿を映した石像が現れたという。
 アシマについての説明も横に建ててあったのでその写真を載せたが、私は涙で目が曇って、最後まで読み切れなかった。「オペラ良し」、『アンナ・ネトレプコ』でどうだろう。「文楽良し」、玉男が鬼籍に入った今、蓑助か?
 中国人も、この種の話が好きなせいか、感情移入して、貸衣装を着てポーズをとっていた。

サニ族の伝説の美少女『阿詩瑪(アシマAshima)』の石峰。
悲劇の美少女『阿詩瑪(アシマAshima)』の説明

中国・雲南省 昆明郊外(1)~西山風景名勝区~

中国人ってこんなに優しいの?
 インドのコルカタ (カルカッタ) 空港 (CCU) を00 時30分に出発、中国の昆明長水国際空港に(中国時間;中国北京時間)05 :10に着く。両国の2時間半の時差を考えても、実質の睡眠時間は、…ということで、機内でインドのビールを飲んだ覚えはあるが、あとは何も覚えていない。
 昆明長水国際空港は、航空需要の増加に対応するために、西部大開発の一環として市内から25キロメートルほど東側に建設された空港である。2007年11月15日に工事が開始され、2012年6月28日に開港した。今日は2013年3月19日朝5時半である。インドのコルカタ(カルカッタ)空港から20分ほど前に到着したのだが、まだ開港9カ月の空港内部は、早朝とは言え、埃一つないピカピカである。閑散としていて、ロビーにつきものの小さな店も、両替所も開いていない。『ツァリスト・インフォメーション』も人がいない。この時間じゃ無理もないか。
 事前の情報によると、空港から昆明市内に向かうのに、軌道6号線があるが途中までであり、現時点では行先によって区分されている空港1号線から空港6号線まである「エアポートバス」を利用するか、タクシーが便利である。とりあえず、ホテルに向かわなければならない。エアポートバスに乗るべく外に出たところ、知らないおじさんが「ノー、バス」と言いながら近づいてくる。「多分、タクシーの客引きだろう」と無視して、周りを見回したが、バスも見えない。また、「ノー、バス」と言いながら数人が近づいてくる。英語は全く話せないらしい。どうも、まだバスの運行開始時間ではないらしい。タクシー以外の選択枝は無いようだ。「100元」と書かれた数字を見て、「しまった、私は70元しか元の現金を持っていない。両替所も閉まっている」。焦ってお願いしたが、日本円やドルでは受けとらない。参った。そうこうしているうちに、貫禄のある50代くらいに見えるおじさんが、出てきた。私が財布を広げて中の70元を見せると、取り巻きの手下たちに命じて、私の荷物を運ばせ、「ありがとう」と聞こえるような日本語で、にこっつ。「ありがとう」は私が丁重に言わなければならない言葉なのに…。昆明のお助けマン、「ありがとう」。
 タクシーの運転手は、高速道路を飛ばし、中国語で書いてあるホテルの名前と住所のメモを見ながら、無事ホテルの入口まで行ってくれた。
 「中国人って、というか雲南の人達ってこんなに優しいの?」

チェックイン&西山風景名勝区へ
 早朝のチェックインにもかかわらず、予約通りの3泊の料金でOKだった。半泊分あるいは1泊分を追加されても仕方が無いのであるが、「シャワー」と言ってくれた。両替についても、日本円は両替できないので、100元貸してあげるから後で銀行で両替して戻してもいいよ」と言うような拙い英語のやり取りで10元を10枚貸してくれた。とりあえずの移動は可能だ。本当に、「雲南の人達ってこんなに優しいのです」
 すっきりしてから、あらかじめ調べておいた郊外の『西山風景名勝区』、『石林風景名勝区』、『九郷風景名勝区』へのそれぞれの行き方を中国語で書いてもらった。
 昆明初日なので、それに深夜便でインドから着いたばかりなので、無理をしないで近場の『西山風景名勝区(西山森林公園)』に出かけることにした。「バス、OK」の指サインをホテルのスタッフからもらったので、ホテル近くの停留所(バスストップ)→眠山バスターミナル→(6路バスで)西山森林公園のルートがベストらしい。
 眠山バスターミナルに着くと5人ほどが既に来ていた。西山風景名勝区の案内ポスターを見ながら話しこんでいるが、全員中国語であるので理解できない。仕方が無いので、案内ポスターを写真に収めようとカメラを向けたところ、「撮ってあげますか」と言う英語。二度、三度言われて、「ポスターをバックに写真を撮ってあげますか」と言ってくれたことを理解できた。まだこの頃は中国旅行に凝る前だったので、つまり慣れていなかったので、中国人への接し方とでも言うか、会話の間合いの取り方などが全く初心者だったのだ。もちろん、十数億人もいる中国であるから、一括りで論じることはできないが、…。
 人の親切はすんなりと受けるほうなので、「ありがとう」と日本語で言って、ポスターをバックに写真を撮ってもらい、「あなた方を撮っていいですか」と英語で聞いた。「OK、OK」と笑顔。若いお嬢さん達の笑顔は、どこでも、誰でも眩しく、人を幸せにする。試し?が効いて、「ありがとう」で日本人であることを理解してもらった。そして、「レッツゴー」になった。「あーあ、良かった、あーあ、幸せ」。
 教訓;人の親切には、外国では「サンキュー」ではなく、使い慣れている「ありがとう」と言いましょう。笑い;使い慣れていない方々は、日常生活(日本語)から始めましょう。何事につけ、感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と言いましょう。

空港から昆明市内までの高速道路の入口
西山風景名勝区(西山森林公園)行バス乗り場(眠山バスターミナル)
眠山バスターミナルから一緒になったお助けお嬢さん3人組。「Arigatou」
西山森林公園のバス停留所。眠山バスターミナルから30分もかからなかった

森林公園の散歩開始
 眠山バスターミナルを出発した6路バスは30分もかからないで、『西山森林公園』のバスの停留所に着いた。驚いたことに、観光バスやツァーのバスではなく、いかに公共バスとはいえ、バス料金が1元であったことだ。この後、私は相当の年数をかけてトータルで200日間ぐらい中国全土を旅しているが、今回の旅は中国行脚を始めた最初の頃でもあったので、余計驚いた記憶がある。それも日本で走行しているそれ以上の豪華バスである。
 「中国の観光地の各種の入館、入園、入山料金などは通常の国民の平均収入からみて高い」と多くの日本人旅行者が言うが、確かにそういう見方もあるとは思うが、私にはよく分からない。ここ『西山森林公園』はそういう議論を閉じてしまう迫力がある。バッテリーカーやリフト代金、それに『劉門石窟』の入場料は別途払わなければならないが、入山・入場料金は年齢にかかわらず、無料なのである。
 さて、今日の私は、無料の若い女性ガイド3人がついているのである。幸運にも英語も通じるし、「ありがとう」にも微笑んでくれるし、何も言うことが無い。それに、この雄大な景色、きれいなすがすがしい空気感は、私の表現力を超える。ここは写真を中心に進めますので見て楽しんで下さい。
 ここ『西山森林公園』の魅力は、山中にある『華亭寺』と『太華寺』、『龍門景区』内にある石窟と道観(出家した道士が居住する道教寺院)、そして遊歩道のハイキングと言われる。わがガイド嬢達は中国語で書かれた地図付きの小冊子を片手に「キャーキャー」言いながら、そして私に気遣いしながら歩む。私は、普段は静けさを好むくせに、今日はその「キャーキャー」が心地よく響く。勝手なものである。いつもは、J.S.バッハの『6声のリチェルカーレ』をこよなく愛している私が、今日は、『♪♪♪』と大変身である。音楽が出てくるということは、今の私は上機嫌なのである。
 お嬢さん達にお任せの私は、メモ帳に中国語と英語でお寺の名前などを書いてもらったり、カメラをパチパチやるだけである。教わった一部と後で調べた知識をご紹介します。

よく整備された参道(山道)。ハイキングはここの楽しみの一つ
入山してから最初の休憩所。歩き始めたばかりであるが、お嬢さん達は私に気を配ってくれた

華亭寺
 『華亭寺』は西山華亭峰の中ほどにあり、元は円覚寺と呼ばれていた。現存する建物は、1923年、虚雲大和尚が再建したものである。昆明最大の寺院で900年の歴史を誇る古刹である。再建中に「雲栖」の字が刻まれた石碑が見つかったことから、寺院は『雲栖靖国禅寺』と改名されたが、現在も華亭寺の名で呼ばれている。
 山門をくぐると池(放生池)があり、その先には天王宝殿がある。中に入ると天王宝殿の表門(おもてもん)と対になって金剛力士の塑像が鎮座している。巨大で勇ましい表情で華亭寺を守護しているのである。殿内にはさらに弥勒像、韋駄天像、四大天王像が安置されている。

西山華亭峰の中腹にある華亭寺。昆明最大の寺院で900年の歴史を誇る古刹である
きれいに清掃された中庭
雲栖禅寺(せいさいぜんじ)天王宝殿
雲 樓

太華寺
 『華亭寺』を出したからには、それと並び称される『太華寺』に向かわなければならない。写真に示したが、『西山景区案内図』にあるように、ここ『華亭寺』と『太華寺』を結ぶ『太華古道』が便利である。距離は1.6キロメートル、歩いて30分、まさに遊歩道である。
 『太華寺』は西山の最高峰、太華山の中ほどにあり、『仏岩寺』とも呼ばれる。創建者は『雲南禅宗第一師』と称される『玄鑑』で、1300年から1310年頃に建てられた寺院である。『華亭寺』より10年ほど古いことから、西山で現存する寺院の中で最古の仏教寺院である。

西山景区案内図
華亭寺と太華寺を結ぶ距離1.6キロメートルの『太華古道』
太華寺の門の外にある大きなイチョウの古木
太華寺
西山で最大規模の寺院、太華寺
屋根のアップ
太華寺の内部

聶耳の陵墓
 『中国国歌義勇軍行進曲』の作曲者である聶耳(じょうじ)をご存知でしょうか。私は、彼の陵墓や記念館が西山にあることを初めて知りました。そして、1935年欧州留学のために立ち寄った日本国藤沢市で溺死、その縁をもって『昆明・藤沢友好林』が西山にあることを知りました。享年24才。合掌。

中国国歌義勇軍行進曲の作曲者・聶耳(じょうじ)の陵墓
聶耳の立像
昆明・藤沢友好林

西山龍門石窟
 「登龍門」の語源である『龍門石窟』に向かう。滇池(てんち)の西岸にあり、滇池に面した断崖絶壁に刻まれた道教石窟群である。楊父子と70余名の石匠によって、1781年から1853年の22年の歳月を費やして完成させたものである。
 お嬢さん達の持つ案内書によると、龍門石窟は漢字で「奇、絶、険、幽」を特色とする石窟だそうだ。深い内容は読み解けないが、表意文字である漢字にすると、イメージは浮かぶ。しかし、その後に続く説明文については、お互いに外国語である英語では、もう一つ物足りない。それで帰国後に中国語の分かる人に聞いたところ、説明文を漢文調に読み解いた。「昆明に到りて西山に到らざれば未だ昆明にあらず。西山に到りて龍門に登らざれば未だ西山にあらず」だそうだ。何となく分かったような気がするが、…。その『龍門』に私は向かっている。気持ちの昂りを抑えられない。
 龍門石窟は三清閣から龍門の頂上の達天閣まで全長66.5メートルで、慈雲洞、雲華洞などがある。『慈雲洞』から『雲華洞』と呼ばれる岩壁をくり抜いた全長40メートルの桟道(トンネル)が続き、中に掘られた階段を上ると『竜門』に行き着く。西山で一、二を争うビューポイントだけに観光客で混雑している。竜門を過ぎて人の流れに任せて歩くと、頂上に近い所に達天閣が彫られている。
 お嬢さん達が『竜門』の光っている部分を撫でていたので理由を聞くと、訪問者が撫でるために光っているという。触ると「良い事がある」そうだ。昔は、「科挙に合格する」とか、「出世する」ことを願ったそうだが、現在は、「?」、「?」を願うそうです。「?」、「?」については、ご自分で想像してください。若いお嬢さん達ですから、「あれですよ、あれ」。
 それにしても、この『蒼崖萬丈』の崖に、70余名の石匠が22年の歳月を費やして完成させた石窟、石彫、石坊、石段、石道、石刻等々、想像を絶する労苦であったと、身震いしてしまう。

旭光亭
『龍門石窟』入場券売り場
眼下に広大な 滇池(てんち) が見える
羅漢崖
羅漢崖の終点に近づく
三清閣
財 神
普陀勝境。ここを入ると龍門である
雲華洞
断崖絶壁に造られた龍門石窟
龍門の頂上に穿たれた達天閣
『龍門』と刻まれた石窟前の展望台は一番人気である
穿雲洞
手掘りのトンネル
眼下に見える景色