中国・河西回廊 西安郊外(3) ~半坡・香積寺~

導入部
 西安郊外の旅のうち、昨日は、兵馬俑→華清池→半坡辺りをうろうろしていたのだが、素晴らしい旅だったせいか写真が多くなり、(私の考える読者諸氏の)一回の読み切り量をオーバーしてしまいそうなので、前回は兵馬俑と華清池を一つにまとめた。今回は、前回入れられなかった『半坡博物館(はんぱはくぶつかん)』と、新たに宗教関係の史跡が多い南線ルートの中から浄土宗発祥の地として著名な『香積寺(こうしゃくじ)』を加えて一つにして、まとめたい。
 兵馬俑博物館のガイドのお嬢さん達はとても親切で、自分たちの守備範囲ではないのに、華清池から半坡博物館への行き方を中国語でメモしてくれた。このメモを運転手に渡せば、目的地の近くで降車の合図をくれる仕掛けである。45路バスの『半坡博物館』で降車、あるいは、11、42、307路バスで『半坡』へ向かえばよいとのことである。運転手さんに渡す中国語のメモのおかげで、スムーズに『華清池』から『半坡博物館』に来ることができた。若いお嬢さん達に親切にされることは、まっこと、気持ちがよく、健康に良い。ありがとう。(「お前は正直すぎる」の声が聞こえる)。

半坡博物館
 ここは、約6000年前の母系氏族社会の遺跡『半坡博物館』である。時代的には新石器時代に属するが、耕作中の農民により発掘されたのは1953年と比較的新しい。中国の黄河中流全域に存在した新石器時代の文化、いわゆる『仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)』の代表的遺跡である。中国で唯一完全な形で現存する原始人社会遺跡である。規模的には約5万平方メートル、最盛期で500~600人程の規模の集落であったと推定されている。 
 『半坡博物館』は、遺跡の一部を体育館のような大きなドーム型の建屋で覆って、そのまま保護展示した博物館であり、このドームで保存するという試みは、中国で初めて行われた博物館だそうである。この村落遺跡は、おおまかには、居住地、公共墓地、陶器製造場に分けられ、それぞれに説明が加えられている。
 そもそも、 私には基本的に考古学の知識が無く、半可 通 な知識で語っては、せっかくここを訪れた方々に、申し訳なく、また失礼になってしまう。
 ここでは写真を中心にご紹介したい。

西安半坡博物館の案内図
半坡遺跡の出土文物展(陳列室)
半坡人と現代中国人の体質人類学の比較
尖底瓶。描かれた文様も独特
半坡遺跡
遺跡の北側にある公共墓地区の遺跡
集落の様子が分かる遺跡

今日のお助けマン
 今日は、西安郊外の南線ルートと呼ばれている、宗教関係の史跡が多い中でも、特に著名な『香積寺』に向かう。いつものことであるが、日本で使っている数珠を携帯している。
 『私は、旅行先にそれなりのお寺がある時は、宗派を問わずにお参りあるいは見学することにしている。ましてや、これからお参りする香積寺(こうしゃくじ、こうせきじ)は、浄土宗発祥の地である。ゆっくりと一人旅である。金花北路から遊9路バスに乗り、1時間15分くらいでバス停『香積寺村』に着く。あらかじめメモ用紙に『香積寺村』と日本語(漢字)で書いて運転手さんに見せてあったのだが、中国語と似たような字なので理解してくれたのだろう。運転手さんが親指を下に向けて「降りろ」と合図している。そして、渡したメモの『香積寺村』の『村』に丸印をつけて、バスの右側を指さしている。止まった所は大きな通り(子午大道?)にあるバス停で、降車口の右側には何も無い。首をかしげると、もう一度、マークした「村」を私に見せて、右側を指差す。指さした右側には、…?…、「村?」、…、「あった!」の大声は私の日本語である。。大きな通りの右側に並行するように小さな道があり、『村道』と書いた小さな青い看板が立っていたのだ。バスの運転手さんは、それを知らせようとして、メモに書かれた『村』に丸印をつけてくれたのだ。賢くそして親切な『お助けマン』に今日もお世話になった。ありがとう、西安のお助けマン。

『香釈寺村』で降車後、『村道』を歩いて香積寺に向かう

香積寺
 村道を歩いて10分。見えてきました。706年(唐の中宗の神龍2年)、浄土宗の門徒達が第2代祖師善導和尚を記念して建立した仏教寺院、浄土宗発祥の地『香積寺』についにやってきました。「天竺に衆香の国あり、仏の名は香積なり」という伝承から「香積寺」と名付けられたそうである。善導和尚(613~681年)は、俗名を朱と言い、今の山東省の出身で、幼い頃に出家した。一生涯を浄土念仏の布教活動に費やし、 善導和尚が書き上げた『観経四帖疏』は、我が国の浄土宗の開祖・法然に大きな影響を与えたことはよく知られている。 
 日本の浄土宗信者も善導の墓所である香積寺を『祖庭』としており、1980年には善導和尚の円寂1300年を記念して善導太子像を寄贈している。仏教における『祖庭』とは、各宗派の開祖が在住、宣教もしくは埋葬された寺のことを言う。また、耳学問であるが、ここで言う『円寂』とは、「涅槃寂静 円満成就」を略した言葉で、悟りの意が転じて僧侶の死を意味する語となったそうである。
 ひときわ目立つのは、創建当時の建物で、現在、唯一残っている 『善導塔』である。 唐代680年に建てられた高さ33メートルの善導法師の舎利塔である。13階建てであったが、現在は11階まで残っている。文化大革命で大きな被害を受けて、現在の建築は『善導塔』以外は1980年以降に修繕・再建されたものである。
 唐代の詩人王維が『過香積寺』という詩を詠んだことでも有名である。引用で恐縮ですが、訳文とともに掲載させていただきます。
「不知香積寺,數里入雲峰。古木無人徑,深山何處鐘。泉聲咽危石,日色冷青松。薄暮空潭曲,安禪制毒龍」。
「香積寺を知らず、数里にして雲峰に入る。古木碑と径無く、深山いずこの鐘か、泉声は危石にむせび、日の色は青松に冷えかなり、薄暮空潭の曲、安禅毒龍を制す」

浄土宗発祥の地・香積寺 の大きな門
香積寺
ここは立ち入り禁止
仏 像
天王殿に安置された布袋様
鼓 楼
香積寺善導塔
華やかな内部
大雄宝殿
大雄宝殿に安置されている善導大師座像