中国・四川省 黄龍

西安から黄龍・九寨溝に移動
 西安咸陽国際空港発08時35分、四川九寨黄龍空港着09時55分と定刻通りのフライトである。『四川九寨黄龍空港(しせんきゅうさいこうりゅうくうこう)』の空港名は長すぎるということで、一般には『九寨黄龍空港』、『九黄空港』と略称されている。今日のホテルは、九寨沟にとってある。
 空港から黄龍へは43キロメートル、九寨溝へは88キロメートルの距離である。また、高い山に登る予定なので、高山病対策のために調べておいたのだが、空港の海抜は約3400メートルと高い。私の希望は、理想と言っても良いが、今日中に『九黄空港』→『黄龍』を観光→『九寨溝』へ移動そして宿泊である。それにしても現地の情報が少ないので、着陸後に空港のツァリスト・インフォメーションに相談するか、仲間?を募って、車をハィヤして『黄龍』観光、そして『九寨溝』に移動、…。「何とかなるさ」。
 私は、後述するように、タクシーをシェァして移動したのだが、これから旅行する方のために、空港で得た情報をまとめておきますね。①空港内にバスチケットの売場がある。②黄龍経由九寨溝行きのバスは、運賃100元で、「10時位までに発車」と漠然としている。③直接、九寨溝行きのバスは、運賃45元で、6人程度集まるまで待たされる。④九寨溝に移動・宿泊して黄龍観光をする場合は、九寨溝発7時→黄龍観光→黄龍観光後黄龍発15時前後のバスで九寨溝に戻る。これらのメモが、読者の旅行計画に少しはお役に立つことを希望します。
 私の場合は、新婚夫婦と若い技術者に声をかけられ、トータル4人でタクシー600元をシェアして、空港→黄龍観光→九寨溝のホテルへと、とても効率よくかつ経済的な選択だった。そして、彼ら、彼女らのホスピタリティに、感謝、感激。旅の楽しさを倍増させてくれた。

黄龍観光
 空港から4人でタクシーをシェァして、いきなり黄龍(こうりゅう)、正式には黄龍国家級風景名勝区に来たが、地理的には四川省松潘(しせんしょうしょうはん)の郊外に位置する。松潘は、唐の時代に交易路の中継地として栄えた、城壁に囲まれた伝統ある町だと教えられた。今回は、諦めるしかない。
 さて、黄龍である。全長約7.5キロメートル、幅300メートルの峡谷沿いに広がる中国有数の景勝地である。約600平方メートルの面積に、池と森林が広がる高原湿原であり、金絲猴(きんしこう。別名ゴールデンモンキー)やジャイアントパンダなどの希少動物が生息している。1992年に『九寨溝』とともに『黄龍風景区』として世界自然遺産に登録された。
 特筆すべきは、土木&地質技術の観点から見ても、世界有数の『カルスト地形』であることだ。『カルスト地形』の名称は、地中海に面した旧ユーゴスラビアの北西部、スロベニアやクロアチアの『カルスト地方』の地形に多く見られることから、カルスト地形(ドイツ語で Karst)と呼ばれるようになった。この地形は、一般的には石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が、雨水や地下水などによって侵食されてできた地形である。専門的説明は省略するが、ここの地下水は大量の石灰質を含むため、その成分が結晶として土に付着して、気の遠くなるような年月を経て、現在の畔のようになったのである。春になると高山からの雪解け水が流れ込み、天然の『棚田(ライステラス、rice terraces)』ができたというわけだ。
 賢明な読者諸氏は、もう、思い出されたことでしょう。私のブログの中の、『新旅行記・ヨーロッパ』→『スロヴェニアのリュブリャーナ』→『ポストイナ鍾乳洞は迷っても楽しい』でご紹介した、スロヴェニアが誇るヨーロッパ最大級の『ポストイナ鍾乳洞』は、まさにこのカルスト地形の典型なのである。
 日本では山口県秋吉台のカルスト台地が有名である。時期になると贈られてくる「秋芳梨(しゅうほうなし)」を思い出して、よだれを拭く。
 一緒になった若者は、中国のエレクトロニクス関連の会社に勤務する技術者であった。彼は、韓国の世界的に著名なS社に仕事の関係でよく行くそうである。「日本にも行きたいが、我々の仕事で『三国同盟』は難しい。組む相手は一つだ」そうだ。「観光旅行に行きたい。多くの友人が日本に遊びに出かけている」。「ウェルカム」である。この青年によると、「黄龍は、龍が天に向かって舞い上がっていく姿に例えられることから、その名が付けられた」という。そう言われると、長い年数をかけて作られた黄金色の岩肌は、絵画やTVプログラムなどで見る想像上の動物、龍の鱗のように輝いて見える。
 さて、観光開始である。「旅は道ずれ」。撮ったり撮られたり、いつもよりは圧倒的に私が被写体になった写真が多かった。

山頂駅へロープウェイ
 入口付近に『雪山梁』の石碑。雪だるまでした。遠目には何か由緒あるものかと想像したのだが、展示物ではありませんでした。
 高地なので、いきなりロープウェイ(黄龍索道)を使って山頂付近に登る。写真を撮る暇がない、5分間、80元だった。下りは半額の40元だったが、5分間ではせっかくの景色がもったいない。ゆっくりと、だべりながら、歩いた。
 まさに、『黄龍の森』である。天然植物資源の宝庫である。植木の被覆率は、88.9パーセント、森の被覆率は65.8パーセント、区内には高山植物1500と表示されている。高地に咲く花々、果実を食べながら登山者を迎えるリスなど、自然いっぱいの黄龍高原湿原である。

入口から近い雪山梁。雪だるまは展示物ではありません
雪山梁の標示
木道が整備されていて歩きやすい
険しい山
ロープウェイ(黄龍索道)
ロープウェイから写したつづら折りの道
ロープウェイから写した 黄龍の森林
美しい風景を夢中で写している仲間達
厳しい環境に咲く花
観光客を眺めに来たリス 。餌を持ったポーズが決まっている。お礼に近くで拾った実をあげたところ、手渡しで受け取った。周りで歓声があがった
池の景色が見え始めた
標高3553メートルの五彩池まで100 メートル の説明
お寺の上部だけ見えた

五彩池
 黄龍随一の見所と言われる『五彩池』である。総面積21000平方メートルに700にも及ばんとする池が広がっている。池が蓮の花のように連なり、光の変化や角度によって赤、紫、青、黄色、白といった様々な色で彩られ、旅人の歓声を誘う。1997年に娘と一緒に訪ねたトルコのパムッカレを思い出す。
 同伴者たちは、「五彩池は3700メートルの高さにある。大丈夫か?」と気遣ってくれる。めまいも息切れもしないし、「オーケー、サンキュー」と笑顔で返す。所々でこのような健康チェックが入るので、安心して?旅を続けられる。「ありがとう」。

五彩池
五彩池

黄龍寺
 黄龍は、中国古代の皇帝が治水工事を行った際に協力した龍がこの地に住みついたという伝説の地である。黄龍古寺はその龍の化身を祀った寺院だと言われている。そのせいか、この寺院は龍の装飾が多く施されている。『松潘(しょうはん)県志』によると、「黄龍寺は明朝の兵馬使『馬朝観』が修築した」と記載されている。蛇足だが、黄龍は松潘(しょうはん)の郊外である。現在は、黄龍古寺(チベット仏教)と黄龍中寺(道教)を合わせて『黄龍寺』と呼ばれている。
 写真で示した黄龍古寺の山門から10メートルほどの場所に位置する黄龍洞は、『帰真洞』、『仏爺洞』とも呼ばれる。伝説によると、黄龍の神・黄龍真人がここの洞穴(ほらあな)で修行したと言われている。

黄龍古寺の山門
チベット族の女性たち
黄龍古寺内部
黄龍古寺内部
黄龍古寺内部
龍の彫り物が目につく
黄龍祠の説明

争艶池、金沙舗池、洗身洞など
 『争艶池(そうえんち)』は、約650の池が集まって、その美しさを競いあっているように見えることから『争艶池』あるいは『争艶彩池』と呼ばれている。彩池とは、石灰華の段丘に水がたまってできた池のことを言うそうだが、『五彩池』と並んで最大規模の彩池群である。標高3460メートルとあった。
 「文字どおり水面を艶やかに彩る美しい景観」と言われているが、御存知のように、光によって色のトーンが刻々変化する。私が訪ねた時は翡翠のような深い緑色が印象的であった。
 『金沙舗池(きんさほち)』は、長さ1300メートル、幅40~122メートルで、珍しく急勾配になっている。水の中の炭酸ナトリウムも凝結していない。現在、枯渇(こかつ)状態で水流が無いため、黄金色の石灰が沈着した底がむき出しになっているので金沙鋪池と呼ばれている。
 『洗身洞(せんしんどう)』は、海抜約3280メートル、高さ約10メートル、幅約40メートルの石灰岩が沈着した茶色の壁が流れる水を黄金色に輝かせることから『黄金の滝』の別名を持つ。中央に高さ1メートル、長さ1.5メートルの鍾乳洞があり、ここで、仙人が修行したということである。説明書によると、6月から10月が見ごろだということである。

争艶池 。五彩池と並んで最大規模の彩池群である
金沙舗池。現在、水流が無いため、黄金色の石灰が沈着している底がむき出しになっていた
洗身洞。写真撮影時は渇水期だったので、地肌がむきだしになっていた

寂しい別れ
 西安咸陽国際空港発08時35分→四川九寨黄龍空港(九黄空港)着09時55分→新婚夫婦と若い技術者のトータル4人でタクシーをシェア→10時20分頃に黄龍観光開始→ の予定を楽しく過ごして、今は午後3時30分、黄龍旅客センターの出口にいる。仲間に頼りきりであったので、まったく考えていなかったが、これから待たせてあったタクシーで九寨溝のホテルに向かうことになる。若き技術者が見知らぬ男に近づいて、何か話している。戻ってきて笑顔で「OK」。こういうことである。九黄空港からここ黄龍まで送ってくれたタクシー運転手は既に空港に戻り、引継ぎの運転手が違う車で私達を九寨沟まで送ってくれる、という方法であったのだ。ここから空港までの客がいれば、タクシーの遊び時間というか、空車状態は無くなるし、運転手も地域の地理などで得手不得手があるだろうから、ある意味で非常に合理的である。
 この方法は、九寨沟の街でも取られた。黄龍からおおよそ3時間で九寨溝の街に着いた。広場みたい所で停車して、車と運転手が変わったのである。そして一人あたり150元の支払いを求められた。約束通りトータル600元であった。運転手二人の間でお金のやり取りがあったが、私達には関係の無いことである。そして、新しい運転手が私達のホテルを聞いてメモをしている。ここから宿泊ホテルまで近い順に並べると、新婚さん夫婦、若き技術者、私の順番であったが、若き技術者の申し出で、彼が最後に降りることになった。言葉が通じない私と運転手のコミュニケーションに危惧を感じただけではない。今後の私の行動に助言をくれるためであった。
 新婚さん夫婦に丁重にお礼を述べて、次に私の予約したホテルに向かったが、なかなか見つからない。ガイドブックやネット予約にも載っているホテルなのだが、気の短い運転手はいらいらしている。5分ほどかかって、やっとホテルが見つかった。若き技術者は、私の荷物を持ってくれて、大事なものの確認をして、チェックインである。ここで時間がかかった、というか、かけた。「彼は、中国語ができない」、「2泊で、明日は『九寨溝国家級風景名勝区』に日帰りで出かける」、「明後日は朝一番のバスで『成都』に向かう」。「『九寨溝口旅游バスセンター』の場所や切符の買い方を教えてやってくれ」などとスタッフに中国語で話し、同時に、私に英語で同時通訳してくれた。途中、タクシー運転手がしびれを切らして、フロントに来て、怒っていた。
 激動の、そして最上級の1日であった。「ありがとう、皆さん。皆さんも、ボン、ボワィヤージュ」。「心の底から、ありがとう」。

黄龍旅客センター出口
標高3700メートル を超える高山の気圧でペットボトルがへこんでいた。一瞬、物理の公式を思い出そうとしたが、睡魔に負けた