中国・四川省 成都郊外(3)~安仁古鎮~

朝から忙しい
 今日は、四川省大邑県にある『安仁古鎮』を訪ねる。その概要であるが、地理的には成都市郊外の西南西約70キロメートルに位置する、バスで約1時間半の行程である。博物館が多いことで知られる古鎮である。街の中心部の通りは『安仁老街』として整備され、店、レストラン、映画館などが立ち並ぶ。
 ここから東側に1キロメートルほど歩くと、観光客が押し寄せる、著名な『大邑劉氏庄園』がある。中華民国時代に勢力を誇った、大地主の劉文彩(1887〜1949年)とその兄弟が1932年に建てた居園である。その後の増改築で、建築面積2万平方メートル以上に発展する。具体的には、『南の老公館(劉文彩公館)』と『北の新公館(弟の劉文輝公館、現川西民俗館)』の建築群が著名である。ここで、『公館』とは、高官の邸宅のことである。
 今日はここ成都市に夕方には戻りたいので、朝7時頃ホテルを出てバス停に向かったところ、面白い風景を見た。ビルの前の歩道でたくさんの新聞を広げて捌いている人達がいた。配達の地域別あるいは新聞の売店別に仕分けているのか、手際よくまとめている。面白いので立ち止まって見ていると、おじさんが一紙を私によこす。「買いなさい」と言っているのか、「あげるよ」と言っているのか言葉が分からないが、「ジャパニーズ」と答えたところ、笑いながら「ニーハオ」と言って、一紙をくれた。「ありがとう」。今日は朝からいいことがあった。しかし、中国語じゃ読めないんだよなあ。この後、すぐにその理由が分かるのだが、実はこのおじさん、今日の『お助けマン第1号』なのである。

朝7時20分、ビルの前の歩道で新聞の仕分けをしている
さあ、配達だ

早速、いいことがあった
 成都市の茶店子バスターミナルから『安仁古鎮』行きのバスに17元を支払って乗車。座席は指定されていない。結構込んでいて、私の横には中年のおじさんが座った。先程貰った中国語新聞の漢字を拾ったが歯が立たない。写真を眺めていると、隣の席のおじさんがにこにこして覗いている。「そうか、この人は読めるんだ」。「どうぞ、…プリーズ」と言って渡すと、「私が一緒に見ようと言っている」と解釈したのか、新聞の片方の端をもって読もうとしている。「ギヴ、ユー」と大きめの声で言ったところ、斜め後ろの若者が英語を理解したらしく、通訳してくれて、新聞は無事、おじさんの手に渡る。「シェイシェイ」と言って、カバンから饅頭を出して私にくれた。私は朝食をとっていなかったので、すぐ食した。御存知、中国のほかほか饅頭、旨い。「早起きは三文の徳」。貰った新聞は、貴重な食事に変わったのである。予定通り約1時間半で終点、下車する。

早速、方向音痴
 バスの乗車客全員が降りた。それぞれが思い思いに目的地に向かっていて、地図を持たない私は自分がどこの通りにいるのか分からない。早速、方向音痴である。うろうろしながら歩いていると、小さなトラックが固まって駐車しているエリアが見つかった。露店のおばさんもいるので、直感的に「市場だ」。市場大好き人間の私は、『古鎮』に来たのに『市場』に魅惑されてしまった。入ってみて、びっくり。とても大きな市場だったのだ。ガイドブックにも、ネットにも載っていない、したがって名称が分からない『安仁古鎮市場?』である。
 食材売り場が、調理済(熟食区)、干物(干?区)、生肉(鮮肉区)、水産物(水産区)などと利用しやすく区分されている。ここで、「公斤」=500グラム、したがって、1キログラム=2公斤、写真でお見せした今日の相場(今日行情)で言うと、鮮肉20元/公斤=40元/1キログラムである。2016年6月の情報である。
 因みに、「公里」は1キロメートルの単位である。

安仁古鎮の市場で掲示されていた今日の物価情報
安仁古鎮の市場
調理済みの肉屋さん
果物屋さん
西瓜がいっぱい
食材屋さん
本屋さん
寿司屋さんと揚げ物屋さん
寿司の値段
ごみ収集
ボタンやファスナーを付けている
靴の修理屋さん。とても親切なおじさんでした
魔法の靴修理器

お助けマン第2号
 この村には古鎮の見学に来たのに迷ってしまい、結果として来てしまった市場ですっかり楽しんでしまった。13枚の、皆さんには退屈極まりない写真を掲載させていただきました。最後に載せた『魔法の靴修理器』を使って靴を修理するおじさんの技術は、動画でお見せしたいくらい見事なものした。冗談ではなく、「弟子入りしたい」くらい卓越した技でした。
 数十年前、私の自宅から車で1時間半くらいの所に、季節になると『炭焼き』をしているおじさんがおりました。ゴルフの帰りに、煙を不審に思って近づいてみると、炭焼きでした。二度、三度と訪ねるうちに、「やるか」と言われて5日間ほどお手伝いしたことがある。研究好きが高じて『ドラム缶で焼く炭焼き』によって、炭を作り、上手にできたものは焼肉の炭に、うまくいかなかったものは床下の吸湿材として利用した覚えがある。しかし、今回の靴修理には『魔法の靴修理器』が必要で、日本に送るわけにもいかず、断念した。
 「笑わないでください。私の旅とはこんなものでして…」。良いこともありました。靴の修理屋さんは、修理をお願いに来たお客のおばさんに、「日本人を老街へ連れいってくれ」と、お願いしてくれたのです。10分も歩いたろうか、古鎮風景区に来ることができました。「ありがとう、おじさん。ありがとう、おばさん」。

靴の修理屋にいたおばさんに連れてきて貰った古鎮風景区

安仁老街
 おばさんに連れてきて貰った古鎮風景区(老街)は、いわゆる古き良き時代を彷彿させるぶらぶら歩きには最高の通りである。店、レストラン、映画館などが立ち並ぶ古鎮風景区で、特に説明は要しまい。写真を並べさせて下さい。

中華民国時代に勢力を誇った劉氏の建物が多く残り、町中に公館(高官の邸宅)が多い
太平洋映画館
説明は要しまい
安仁公館茶庁
陽孟高公館
鄭子権公館
劉體中公館

映画の看板から歴史を知る
 もっとも胸を震わせたのは、申影(映画)博物館である。私の世代、「白黒テレビが登場する前に鼻たれ小僧だった世代」は、絵具やペンキで書かれた映画の看板を覚えていらっしゃるでしょう。 おばさん達は看板に描かれた美男子にときめき、はなたれ小僧を卒業した先輩達は洋画の美女たちのミニスカートに興奮した時代である。その看板の中国版が目の前にあるのである。中国映画「風雪大別山」、「桃花扇」などの看板を見ただけで、ストーリーが分ったような気になり、さらに想像を膨らませてしまうのである。
 私をここ『古鎮風景区(老街)』に連れてきてくれたおばさんもここが好きらしく、言葉は通じないが、映画「桃花扇」の看板の前で、漢字(中国文字?)を書いて私に丁寧に説明を試みてくれる。『桃花扇』(とうかせん)は、清の孔尚任(こうしょうじん)による戯曲。明王朝の滅亡を背景に、明末の文人・侯方域と南京の名妓女・李香の恋愛を描いた物語らしい。ここまで10分かかった。それ故に(少しずつ理解が進むので)私の想像力がさらに膨らむ。そして驚いた。彼女は、紙に「孔子」と書いた。「えっ、3週間前に訪ねた武威の武威文廟」。あの「孔子」のことである。『桃花扇』の作者である孔尚任は、孔子の64代目の末裔だったのだ。いやぁ、驚いた。「ありがとう、おばさん」
 孔子と言えば、数えきれないほどの格言、名言があるが、今日は次の格言に頭を下げたい。

「十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところにしたがいて矩(のり)をこえず」。

 私のような道草だらけの人生では、コメントできないほど、…?である。150歳まで生きなければ孔子の格言に至らないであろう。
 この『桃花扇』は『長生殿』と並ぶ清朝の伝奇の代表作だそうだ。そうです。私の場合は孔子の格言に違う(たがう)人生で、「…矩(のり)をこえず」どころか、『長生殿』の漢字から「古代ロマンスの舞台である長生殿」をイメージし、華清池の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの舞台に心を躍らせるのである。

申影(映画)博物館 。 撮影に使われた衣装、映像機器、看板のコピーなどが展示されている

映画「風雪大別山」の看板のコピー
映画「桃花扇」の看板のコピー
映写機
『老公館』の西に位置する『有軌電車總站』の駅舎(左)とレトロな路面電車(右)
最後になってしまったが、ツァリスト・インフォメーション・センター。私の場合は、いつも『お助パーソン』がいるので必要なかった

大邑劉氏庄園
 街の中心部の通り『安仁老街』のぶらぶらを楽しんだ後は、この古鎮で最も人気のある『大邑劉氏庄園』へ向かう。交通手段もあるが、ここから東側に1キロメートルほどなので、歩きを楽しむことにする。
 始めに記述したように、中華民国時代を代表する大地主の居園として著名で、1966年に全国重点文物保護単位に指定されている。大邑劉氏庄園博物館(老公館)、庄園珍品書画館、劉氏祖居および劉文淵(文彩長兄)公館の4部に分かれている。入場料は40元であったが、60才以上は半額、70才以上は無料である。

大邑刘氏荘園の説明
老公館大門。右手に荘園文物珍品館(庄園珍品書画館)の大門
居室空間
劉文彩の寝室。9平方メートルを占める寝台室には写真で見るように金張りの龍の柱が豪華である

「龍泉井戸(Dragon Spring Well)」と名付けられた劉家の私的な台所用内井戸
小作料収納の状況を展示している「算帳」の場面
建川博物館聚落。中国最大の私立博物館。時間の関係で入口の写真撮影で終わった