楽山へ
今日は、ここ成都から『楽山大仏』へ日帰りで出かける。昨日訪ねた『峨眉山』の旅日記で書いたが、『楽山大仏』は『峨眉山』と合わせて、1996年12月にユネスコの世界複合遺産に登録されている。楽山と峨眉山はバスで40分くらいなので、峨眉山観光後に宿泊して楽山に向かう方が効率的だし、経済的であるという考え方もある。私の場合は、荷物を持っての移動が面倒だし、同じ(成都の)ホテルに6泊とか連泊する余裕や安心感を選んで成都からの日帰りを選んだ。但し、片道2時間のバス移動が嫌いな方もいらっしゃるでしょう。お好みで…。
楽山は港がある旧市街とそれ以外の新市街に分けられる。バスターミナル(バスセンター)も新市街に3か所もあり(乐山客运中心站、肖坝旅游客运站、乐山联运车站)、ここで各々について説明すると、私の説明力ではかえって混乱すると思うので、割愛したい。成都~楽山間のバスは朝7時頃からスタートし、多数あるので当日券で十分である。それぞれのバスターミナル間を結ぶバスも1路、6路とあり、それに楽山に到着してからの移動は行き先によって3路、13路などのバスが利用できるので難しくはない。私は、楽山バスセンターに着いてから大仏に向かう3路バスに乗車した。方向音痴の私でも行き帰り大丈夫だったので、安心してください。
楽山は、成都の南約170キロメートルに位置し、人口は約354万人、面積は12.827平方メートルの大きな都市である。唐代に『嘉州』、清代に『楽山県』となった。地理的には長江(揚子江)の支流である岷江(みんこう)に大渡河(だいとが)と青衣江(せいいこう)が合流する辺りが市の中心であり、珉江の左岸地点に楽山大仏がある。
凌雲寺
『楽山大仏』のある『凌雲寺』は、『大仏』の知名度から『大仏寺』の別名で呼ばれる仏教禅宗寺院である。天王殿、弥勒殿、大雄宝殿などの仏閣が陵雲山に点在する。唐代に建立されたが、現在の建物は明および清代に再建されたものである。
大 仏
『楽山大仏』は、珉江に面する栖鸞峰(せいらんほう)の岩壁に彫られた石刻座仏で正式名は『凌雲大仏』という。『弥勒菩薩』を象(かたど)って彫られた巨大な磨崖仏(石仏)であり、石窟寺院の一種である。大仏の主なディメンジョンは、高さ71メートル、肩幅28メートル、頭部の高さ4メートル、頭部の直径10メートルで、世界最大の石刻座仏である。巨大な大仏を造った目的は、大渡河と岷江が合流するこの周辺は、古来より水害が多発する地域であったため、西暦713年(唐の玄宗皇帝の時代),凌雲寺の海通和尚は水害を鎮めるために大仏の建立を思いたったのである。完成したのは803年,90年の歳月を要したといわれている。建立当時は、大仏を守る13階建ての楼閣・大像閣が大仏を覆っていたそうである。
漁村へ
『麻浩崖墓』の近くにある狭いエリアで、近くで採れた魚などが食べられる食堂が続く。私は漁村育ちなので網を修理している漁師さんを見ると故郷を思い出してしんみりする。漁師さんと話をしたいが、言葉が通じなく残念。たばこ1本分、消えるまで手作業を見せてもらって楽しんだ。
ところで、漁師の皆さんは何故、『くわえタバコ』が多いのだろう。極端な言い方をすると、世界中どこの浜でも、どこの海でも、必ずと言っていいほど、皆さんはタバコを吸っている、日本でもそうです。TVに映る方々を観察してください、くわえタバコが確実に多いですよ。何故だろう。別に、批判をしているのではありませんよ。
麻浩崖墓
1800年以上前の後漢時代に四川で流行っていた『麻浩崖墓』は、地方豪族の陵墓と言われる。凌雲山と烏尤山に挟まれた麻浩湾の岩崖に造られていることから『麻浩崖墓(má hào yá mù)』と呼ばれている。「浩とは、川幅が広く穏やかに水が流れる場所」という意味だそうだ。『麻浩崖墓』の説明プレートによると、「『マー ハオ ヤー ムゥ(英語表記でMahao Tomb Caves)』は、0.1平方キロメートルの範囲に500ほどあって、墓の門は蜂の巣のように見える。墳墓の中は彫刻も施されている」と、記されている
不鮮明であるが、壁に彫られ着色された『左手にほうき、右手にちりとりを持って掃除をしている門番』が見られるが、「ほうきを抱えてお客を迎えることは礼儀のひとつです」と、説明されていた。
また、陳列館には馬や人物などの陶器製俑や精緻な彫刻がされた石棺などが展示されている。