アルバニアのティラナ

ティラナへ行く
 今日は、たった2日間の滞在を終えてモンテネグロのコトルからアルバニアの首都であるティラナへ移動する。メモを見ると、08時00分にコトルのバスターミナル出発→08時30分にブドヴァで乗客→10時10分(約2時間後)にボドゴリツィアで乗客→その後居眠りをしたらしい→ティラナに14時頃着いたのであるから約6時間の行程である。
 ガイドブック以外の予備知識がまったくない国に3日間滞在の予定であるが、問題はここの通貨は隣国のマケドニアやモンテネグロでは両替できないという。ただ、単位通貨はレク、1 Lek=約1円なので換算はしやすい。ユーロもかなり流通しているという。両替屋があって、当日の為替レートでレクに両替が可能なのだが、如何せん、ジャパニーズ・イェンは不可能であった。ここで、お助けマンの登場である。銀行の横にあった両替屋さんのスタッフが30メートルほど離れた所にあるATMを教えてくれる。しかし、ここでも問題が…。ATMを日本国内ではまったく使ったことがなく、国外でも数回しか使ったことがないのである。それも銀行員に不審な目で見られながら、助けてもらって。見かねた両替屋お助けマン、私のクレジットカードを使って、必要金額を、と言ってもこの国の物価感覚がまだ分からないので曖昧であるが、5000レクを引き出してくれた。もちろん、シークレットに関することは私に入力させたことは言うまでもない。「助かった。安心した」。と、思いきや、彼は私を彼の両替屋に連れて行って、細かいお札に両替してくれた。手数料なしで。なんという人だ。これが『ヨーロッパ最貧国』といわれる国民のビヘイビァなのか?だとしたら、言葉の定義を変えなくちゃ。素朴だが、なんと誇り高い人たちよ。
 隣にいたおじさんがさらにアドヴァイスをくれた。「レートに関してはレクで支払ったほうが得」、「アルバニアの文字は英語とほぼ同じなのでローマ字読みをすれば伝わる」。私は好きになりました、アルバニア人を。先の戦争で悲惨な目にあったという、アルバニア人を私は好きになりました。単純な奴だと思わないでください。この後に訪れる各国、各地で、アルバニア人に助けられるのである。彼らの人柄だけではなく、実はあることが理由で彼らは私に好意を持ってくれるのである。あることとは?もう少しお待ちください。

コトルのバスターミナルでティラナ行きのバスを待つ

ティラナを楽しむぞ
 この街の中心は、スカンデルベグ広場である。広場の中央には民族的英雄であるスカンデルベグの名を取って命名された像が建っている。周りには、国立歴史博物館、国立オペラ劇場、イスラム寺院のジャーミア・エトヘム・ベウト、時計塔、バンク・アート2などが集中し、歩いて回れる見所、遊び所が多い。朝とかの人通りが少ない時に広場の路面の所々に開けた隙間から水が出てきて、その流れで表面を自動的に清掃している。
 国立歴史博物館は、スカンデルベグ広場の北側に広場に面して建っている。それにしても、建物正面の 巨大なモザイクには驚いた。バルカン最大のモザイクだという。全て武器を手にしたシーンだそうだが、その意味するところは何なのだろう。 展示物として、紀元前4世紀のアルバニア最古のモザイクが展示されて人気を博しているせいだろうか。勝手な想像を巡らせても、巨大モザイクを作成した経緯は分からない。アルバニアの歴史を年代順に展示してあるのも、アルバニアの歴史や成り立ちに疎い私にはありがたい。
 国立オペラ劇場は、オペラやバレエを上演する劇場である。オペラ好きの私である。最初に広場に来た時、白い大きな建物に『OPERA』を見た時は胸が躍ってすぐに駆けつけたが、閉まっている、翌日、訪ねた時はドアは開いていたが、滞在中にオペラもバレエも公演は無し。がっかり。

スカンデルベグの像
国立歴史博物館 。建物正面に巨大なモザイク
国立オペラ劇場
散水(流水)による路面の清掃

気を取り直して
 国立オペラ劇場から出てふと見上げると、白い色の高い塔が2つ見える。イスラム寺院のジャミーア・エトヘム・ベウトと時計塔である。ガイドブックによると、前者は町の創建者スュレイマン・パシャの曾孫であるハッジ・エトヘム・ベイにより1793年から1821年にかけて建てられたということです。また、先の大戦後に政府の無神国家の政策によって、一時期ではあるがジャミーア・エトヘム・ベウトも閉鎖されていたそうです。とくに女性には被り物の着用など簡単な注意が与えられるが、気持ちよく楽しめるイスラム寺院です。中にいた信者が薦めてくれたのは、びっしり描かれた鮮やかなフレスコ画です。寛容な人々でした。
 隣の時計塔である。これもハッジ・エトヘム・ベイによって建設されたのですが、時計が加えられたのは約100年後の1928年だそうです。この時計塔には登ることができるが、約30メートルとそんなに高くないので、というか、周りにも高い建物が無く、高い所から街を見下ろす必要性もないので、私は下から時計塔を見上げて終わりました。

スカンデルベグ沿いに建つジャミーア・エトヘム・ベウトと時計塔
オスマン時代に架けられたタバカヴェ橋

どっちにしよう
 時計塔から近くの『バンク・アート2』に行くつもりが、例によってロスト・マィ・ウェイで、バンク・アート2ではなく郊外の『バンク・アート』行きのバス停に来てしまった。最初から訪ねる計画に入っていた『バンク・アート』だ。こんないいタイミングは無い。と、横を見ると近くに立派な橋が見える。こんな由緒ありそうな橋を見たからには通り過ぎるわけにはいかない。熱心に写真をとっていると、お助けマンが教えてくれた。『オスマン時代に架けられたタバカヴェ橋』と言うそうだ。「運がよかった、ありがとうございます」。このお助けマンにバンク・アートへの行き方を詳しく教わったので大丈夫だ。「サンキュウ、アゲィン」。
 時計塔近くから青色のバスでバンク・アートへ。バス料金40レク、所要25分。バスを乗換えて2駅で降車、徒歩3分。お目当ての『バンクアート』に着いた。この国に来るまでバンク・アートなるものについての知識は皆無だった。そもそも論から勉強しなければならない。『トーチカ』と訳している方もいらっしゃるが、中国の大連市旅順口の二百三高地を訪れた際に、ロシア側の壕をト-チカと説明されたが、あれをもっと頑強に、かつ地下深く築いたものと考えていいのかな?
 ここティラナの郊外にあるバンク・アートは、1975年から1978年にかけて構築され、16万8000作られたものの中で最大のものだそうだ。後で訪ねる予定のティラナ中心部にあるそれと同じように、分厚いコンクリートで囲まれていて、化学兵器や核兵器にも耐えられるという。毒ガスを無害化させるフィルター・ルームもあり、スィッチを押すと、もちろん毒ガスでは無いが、疑似ガスが出てくるなど、凝った演出をする部屋もあった。
 ところで、バンク・アートの入場料は、大人500レク、学生300レクと入口の窓口に書いてあったが、私が窓口に行った時、「パスポート、プリーズ」と言われた。「観光資源になっている施設なのに、IDが必要なのかな」と思いながらパスポートを提示すると、窓口のおばさん、「300レク」というではないか。2度、3度やり取りがあって、老齢者割引だと分かった。ということは、私もそのような年に見られるようになったか、…。こういう場合、私は100%逆らわない。不機嫌にもならない。寛容なのである。「200レク得した」と喜んで300レクを支払うのである。

郊外にあるバンク・アート入口
ぎょっ
内 部
分厚いコンクリートの扉。『頭上注意』

喜んで300レクを支払うか
 郊外の『バンク・アート』から市の中心にある『バンク・アート2』に移動した。あらかじめ300レクを財布から出してパスポートと一緒に窓口で見せたところ、「ノー、パスポート。500レク、プリーズ」。すごく損した気持ちだ。展示の内容も圧倒的に郊外の方がいい。時間のない人で1か所しか行けないならば、バスで30分もあれば移動できるのだから、郊外の方がいい、高齢者は割引になるので郊外の方がいい、と八つ当たりはしないが、お薦めはします。

市中心部に移動してバンク・アート2 へ
犬もいました
発電機だろうか、エンジンだろうか

ティラナのピラミッド
 スカンデルベグ広場から南へ歩いて行くと、子供たちが登って遊んでいる巨大な滑り台というか、ピラミッドのような建物がある。先の大戦後に労働党第一書記として権力をふるったエンヴェル・ホッジャの生誕80年を記念して建設された記念館だった建物である。社会主義国としてアルバニアを無神国家にしたホッジャは、自分の名前を冠した立派な記念館を建てるよう命じたという。自分を神に代わる存在としたかったのだろうか。
 敷地内にある『平和の鐘』は、1997年の紛争の時に出回った銃弾の薬莢を溶かして造られたものだそうだ。後でホテルのスタッフに聞いたのだが、アルバニア語で鐘の表面に刻まれていたのは、『私は銃弾として生まれたが、子供たちの希望を願っている』と記されているそうだ。

アルバニア労働党を設立したエンヴェル・ホッジャの生誕80年を記念して建設された記念館。今や荒れ放題
平和の鐘

立派な建物
 ティラナのピラミッドから南下すると、考古学博物館が見える。とても重厚な建物で、スタッフの対応もよいが、「訪問客が少ない」と嘆いていた。
 考古学博物館と向き合うようにティラナ大学が建っている。その前庭にマザーテレサ像が立ち,学生たちがおしゃべりに興じている。「大学の受付はどこか」と聞くと、ドアを開けて入れてくれて、「どうぞ」。学生と話す方が面白いので、学部や学科の話、マザーテレサの話などをした。英語が上手な学生達だったが、たまたまかもしれないが、イタリア語っぽく聞こえ、帰り際に、「チャオ」と挨拶をして別れた。「バイバイもチャオ」でいんですよね?
 大まかに言えば、考古学博物館とティラナ大学の間がマザーテレサ広場である。私のカメラのポイントがずれてしまって広場というよりも建物を写したように見えるが、いずれにしても、緑が豊富で家族が寛ぐような広場のイメージとは異なる場所である。
 マザーテレサは、生まれはマケドニアのスコピエだがアルバニア人で、両親はアルバニアにある墓地に埋葬されているそうだ。マザーテレサ自身も、無神論を宣言したエンヴェル・ホッジャの死後に墓参で訪れたことがあるという。穏やかな表情の中に不屈の闘志を秘めて貧しい人々のために闘った彼女は、世界的にそうであるが、アルバニアにおいても、広く国民の尊敬を集めているそうだ。以前、インドを周遊した折にコルカタを訪れ、『コルカタの聖テレサ(Saint Teresa of Calcutta)』の人気ぶりを実感したことを思い出した。

考古学博物館
マザーテレサ広場
ティラナ大学に入ったすぐの階段

いきなりですが
 一般に、観光客は、『世界遺産』、『美しい風景』、『有名だから』、『おいしいもの』などを求めて、それぞれ旅をしていらっしゃるようだ。私はというと、『芸術』を横に置いておいて、強いて言うと『古いもの』が好きなようである。そして人々だ。市場に行っても物より人々というあれである。たいして目的も持たず勝手にブラブラ散歩する感覚である。我儘なのである。したがって、団体で行動しなければならない『ツァー』は人に迷惑をかけることになるので、参加したことがない。そういう割には人に迷惑をかけて、お助けパーソンのおかげで旅行を続けられるのであるから勝手なものだ。今日のクルヤは、何となく、性に合いそうな感じがする。

性に合う
 いきなりであるが、今日のお助けマンが登場である。ガイドブックによると、ティラナからクルヤに直通のバスがあると書いてあったが、このお助けマンは断固として譲らない。ティラナの乗り場が違ったのだろうか、「ティラナからバスでクルヤに行くには、フシ・クルヤを経由しなければ行かれない」、「確かに、ガイドブックにもフシ・クルヤ経由のミニバスがあると書いてあるが、直通便のバスの方が早いはずだ」、「違う、とにかくこれに乗れ」。人にものをたずねていながら、今日の私はちょっと…、戦闘的だ。結局、お勧めのミニバスに乗って、フシ・クルヤへ。「よしっ、ここで乗り換えだ」。乗客を待っていたミニバスにスムーズに乗り換え、半信半疑ながらもほっと一息ついたところで、お助けマンが「ユァ、キャメラ?」。「えっ、あっ、乗ってきたミニバスに忘れてきたのかな?」。まだそこにいたミニバスに無理やり乗せてもらって、親切な運転手も手伝ってくれて「カメラ、カメラ」を連発したが、見つからない。絶望、…。クルヤ行きのバスをそんなに待たせるわけにもいかないので、「ソーリー」と言って、もう一度ディバッグの中を探したが、無い。…。どうして俺は。…。絶望。(10秒はここで読まないで止まってください)。「間違った!あった」。バッグのいつもと違うポケットにカメラを入れていたのだ。さっきチェックしたのに、焦っているんだろうな。周りの同乗者の皆さんは、「ヴェリー・グッド」。私のドジでバスの出発が遅れたのに、なんという寛容な人達なんだろう、汗びっしょりで、一人一人に握手を求めて、「ありがとう」。すっかり仲良くなったお助けマンも、皆さんに「ファレミンデ…?」と笑顔を振りまいている。たった一つ、覚えたアルバニア語「ファレミンデリト」=「ありがとう」である。また、アルバニア人が好きになった。「グラッツイェ・タント」。

追伸 P.S.
 前節の『性に合う』で挿入した『絶望。(10秒はここで読まないで止まってください)』を私は思いつきで、文章の流れ&感情の流れで書いたが、小説などを書く執筆家と称される人には役に立つかもしれない。脚本などでは一般的かもしれないが。例えば、伸ばすところはフェルマータを挿入するとか、感情の表現をイントネーションによって、もっと具体的には、文中の言葉あるいは一語、一語を音符にのせるとか、勝手に言わせていただけるなら、『前衛小説家』をお待ちしています。オペラに似ているかもしれませんが、本質的に『似て非なるものです』。

本文に戻って
 色々助けてもらって1時間15分ぐらいでクルヤに到着した。見上げると、小高い丘のような所に城のような建物が見える。多分、クルヤ城であろう。道順に上っていくと直ぐにスカンデルベクの馬にまたがった像がある。他に道がないから分かりやすいので道なりに南に向かって進むと、大きなPホテルがある。もう大丈夫だ。石畳の両側に土産物屋が並ぶ。この辺りはバザールである。民族楽器、民族衣装、テーブルクロス、銅細工品などが置かれ、他にアルバニアの刺繍が入った帽子、民芸品などたわいのないものが売られている。『たわいのないもの』が観光地の訪問者にとっては懐具合に合うし、『かわいいもの』なのだ。私のバザール好きは半端でないので、ここでバザール遊びに時間をとってしまえばクルヤ城の城跡や博物館を観る時間を逸してしまうかもしれない。「わたしごときの観光客にこんなに親切にしてくれたり、国家の英雄が戦った城を観ないでは、この国の皆さんに敬意を表することにはならない」と、威儀を正し、先にお城に行き、ティラナに戻るバスの時間まで残った時間をバザール遊びに使うことにした。

アルバニア人が尊敬する英雄
 さて、クルヤである。この地は、中世の頃のアルバニアの首都でオスマン帝国に支配されていた。そこに祖国を守るために立ち向かったのが、スカンデルベルクであり、中世15世紀のオスマントルコに四半世紀にわたって抵抗し続けた民族抵抗の地なのである。独立を勝ち取った国家の英雄スカンデルベルクが戦ったクルヤ城の城跡が現在の博物館なのである。この博物館は、スカンデルベク博物館と国立博物館で構成され、スカンデルベルクの生涯が年代順に見られたり、オスマン様式の美しい建築を鑑賞できる。
 この城の高台からもう一つ楽しむことができるのは、眼下に広がる街である。雲の具合によるが、アドレア海も見渡せるのである。

バザール
 バザールを楽しむなどと大上段に振りかぶったので、何が始まるかと思われるでしょう。個人的な楽しみだし、『たわいないもの』と言ったように、どうってことないのです。この魅力は、深く考えたこともないし、分析したこともないのですが、思いつくままに無責任に列挙すると、『商品そのもののお国柄』、『珍しいもの』、『食べ物ならば料理方法も含めてその食べ方』、『売り買いの駆け引きに現れる民族性』、そして一番興味を持つのは『その場に流れる空気』等々です。まだまだあると思いますが、疲れたので止めます。括ってしまうと、『旅なんです。旅そのものなんです』。
 私なんか、初心者みたいもので、今でも覚えているのは、2012年2月末にミャンマーのインレー湖で会った30代のフランス人のことです。何人かでボートをチャーターして島巡りをするのですが、それぞれの島の『バザール開催日』の日程表があって、それに合わせてボート一艘をチャーターしで行くわけですから、人数が多いほど安く上がるわけです。彼は礼儀正しい男でしたが、私が「午後にはバスで移動しなければならない。ボートの帰りが遅れたら私の旅のスケジュールが狂う」と断っても、3度も私を誘いました。私は彼のような旅人が大好きです。彼は基本的には旅そして文化が好きな男なのです。「1回一人でボートを雇うより二人なら半額で済む」という合理的な考えよりも、「もう一つ別の島に行ってバザールを楽しめる」と考えるわけです。
 この拙文を我慢して読んでくれている人の中に、『バックパッカー』と称される人がいらっしゃると思いますが、各地でお会いする若いバックパッカーの皆さんは、若いですから「お金をかけたくない」と思うのは当然だとしても、旅や文化、人々にとても関心を持っていて、先にご紹介したフランス人を思い出します。「頑張れよ、若い旅人たちよ!」
 何故かこの節は、『ですます』調でした。別に意識したわけではありません。流れに任せているわけで、文章もチェックしていません。お付き合い、ありがとうございます。

感謝の真意
 アルバニアの最初の節『ティラナへ行く』の最後の方で、『…アルバニア人を私は好きになりました。単純な奴だと思わないでください。この後に訪れる各国、各地で、アルバニア人に助けられるのである。彼らの人柄だけではなく、実はあることが理由で彼らは私に好意を持ってくれるのである。あることとは?もう少しお待ちください。』と書いた。
 答えは簡単、先に私のカメラで、すっかりお世話になったし、そして、次は、これからお話しするここのバザールで買った帽子のことである。「なにっ、いい加減にしろ、こんなに待たせてバザール?バザールの帽子が理由で、アルバニア人がお前に好意を持ってくれるだと」。
 おばあちゃんと孫の二人で店番をしている民芸品屋さん。売れても大して利益にならないものが多い。周りの店と品揃えがあまり変わらないので、元気のよいおばさんの店の方が客を集めている。私は天邪鬼である。何でもよい、このおばあちゃんと孫の店で何か買ってあげたい。おばあちゃんが売りたいものは?孫が掴んだものは『ALBANIA』と刺繍された帽子であった。ちょうど、日本から持ってきた帽子を失くしたので、丁度良い。安いものなので、言い値で買った。随分と喜ばれた。買い物に一生懸命なのは私の方である。「あった」。4歳の孫娘に良いだろうと勝手に想像して、片手で持てるような民族人形を買った。私は、トータル500円で、アルバニアのおばあちゃんと孫に笑顔をプレゼントできたのだ。涙が出るほど嬉しかった。

帽子の恩返し
 早速、この帽子をかぶってティラナ行きのバスに乗った、中年のおじさんが帽子を指差して、「アルバニア」と喜んでくれる。多分、奥さんだと思うが横にいたおばさんは、私の帽子を取り上げてアルファベットというのだろうか、帽子に刺繍された文字を指でなぞって「A L B A N I A」と発音して教えてくれる。持っていたリンゴの半分を皮をむいて私にくれた。『半分』に泣いた。「何かお返しを」と思っても日本を象徴するお土産は持っていない。現金しか持ち合していない。絶対にやっちゃいけないことだ。彼ら彼女らに私の真心が通じることと言えば、ここに来る時にバスの中で教わった「ファレミンデリト」=「ありがとう」しかない。帽子を脱いでもう一度「ファレミンデリト」。皆さんの笑顔。今思い出しても、涙ぐみながらも、すがすがしい気持ちになります。ヨーロッパ最貧国とは、ヨーロッパで一番、心の豊かな国民の国でした。「ありがとう」。

クルヤに着いた。上に見えるのはクルヤ城か
スカンデルベグ の像
博物館になっているクルヤ城
クルヤの博物館にはスカンデルベグ博物館(英語版)と国立博物館が含まれる
博物館の高台から見た街
バザールの一角
バザールの一角
バザールの一角