マケドニアのスコピエ

スコピエ
 オフリドから同じくマケドニアのスコピエにバスで移動する。同じ国で、それも首都に向かうのでバスの便数も多く、また、既にオフリドで両替したデナル(DEN)もあるので、ここで両替に気を使わなくてもよく、旅の手続きがスムーズだ。3時間半でスコピエに到着する。この国の周辺国も含めて鉄道よりもバスによる移動が便利であるが、バスターミナルの横に鉄道駅があると聞いて、覗いてみるのは鉄道独特の旅情が好きなせいであろうか?気がついてみると、用事もないのに、時刻表を眺めたりしている。こういう時が危ない。旅行ガイドブックに「安心してると窃盗や引ったくりに遭う。手荷物は自分の体の正面に」と書いてある。手荷物の確認を再度する。大丈夫だ。
 ホテルは、この町の中心であるマケドニア広場から南へ歩いて数分の所にあるマザーテレサ記念館の近くに予約した。ここはマザーテレサの生地なのだ。それに、「銅像が大好きならスコピエへ行け!銅像の数が多いだけでなくデカい!」とも聞いた。目印がたくさんあるのだ。いくら方向音痴でも迷いようがない、かな?

迷わない
 ホテルにチェックインして、さあ、市内見学だ。ここスコピエはマケドニアの首都、通貨は前述したようにオフリドで両替したデナル(DEN≒2円)なので安心だ。と、胸に手を当てて財布を確認して、…、数分歩くと、2009年にオープンしたマザーテレサ記念館である。18歳までここで過ごした彼女のその後の業績を讃えて、2階に展示室、3階に礼拝堂がある。すぐ側の10月11日通りに入ると、「やったぁ、さすがスコピエだ、何か大きな銅像が見える」。この通りは町の中心、マケドニア広場にまっすぐ通じていて見通しが良く、なおかつ広場の中心に建つ馬に乗ったアレキサンダー大王の銅像が大きいため遠くからでも分かるのである。なんと、台座をあわせると約25メートルの高さなのである。うれしい。方向音痴にも歩きやすい『ユニバーサル・デザイン』の町づくり、表彰ものだ。
 この町は、ヴァルダル川を境に旧市街と新市街に分かれている。新市街の中心にあるのがこのマケドニア広場であり、橋を渡って南側が旧市街で、オールド・バザールなどがある。その橋が、オスマン・トルコ時代の15世紀に造られた橋が、旧市街と新市街を結ぶ石橋(カメンモスト)が私を魅了してしまった。色々な国で、オスマントルコ治世下に建設された橋を見てきたが、共通するのは重厚にして洗練されたその姿であり、力学的な安定感である。笑われるかもしれませんが、迷ったのではなく、楽しさに浮き浮きして石橋の上を5往復したのである。5往復。
 この石橋をカメラにおさめようとすると、角度によっては白亜の建物が主役に華を添える。古代ギリシャのパルテノン神殿をモデルにした考古学博物館である。マケドニアを統治した王朝の硬貨や陶器などのコレクション、石器時代の母神像などが展示されている。

マザー・テレサの像
マケドニア広場の中心に建つ馬に乗ったアレキサンダー大王の銅像。台座をあわせると約25メートルという大きな像
マケドニア広場
街の南北を結ぶカメン・モスト。この重厚な石橋はオスマン帝国時代に建設された 。 白亜の建物はマケドニア考古学博物館
違う角度(対岸)から撮ったカメン・モスト
古代ギリシャ・パルテノン神殿をモデルにした白亜の建物、マケドニア考古学博物館

カメラ担当
 石橋を5往復もすると、暇な奴だと思われるのか、「写真を写してくれ」と強制的にカメラを渡される。アジア人の集団に頼まれてしまった。この町で知り合いになったモンゴル人とベトナム人だという。モンゴル男がベトナム女に「ブス来い」と言って、一緒に写真におさまろうとしている。「無礼な奴だな、こいつ」。『 ブス 』の語源は何なのか、こんな侮蔑的な言葉は調べたくもないが、「サイなんとか、ブス来い」とまだ言っている。その意味が分からないのは、日本人の私だけみたいだ。「イングリッシュ、プリーズ」。何度かやり取りして、彼は、「サイハン・ブスクイ」とか言っているのが分かった。「なんだ、それ?」。「ビューティフル・ガール」。「ビューティフル・ガール,イズンネ?」。「イェス、サー」。「なにっ、美しい女性?」。「ブスが何で美しい女性になるんだ」。モンゴル語だそうだ。本当かね。この際だから「ブス、ブス、ブス」と女性3人に言ったが、きょとんとしていた。「皆さん、きれいだったなぁ」。でも、ほめ言葉であってもこのスチュエイションで、言ってはいけない。

サイハン・ブスクイたちと別れて
 『サイハン・ブスクイたちに』、じゃない、石橋に未練を残して、ヴァルダル川に沿って南へ向かう。目的は、聖クリメント主教座教会である。そのモダンな外観も魅力的であるが、アーチとドームのみで構成された建築構造に興味があるためである。1972年から1990年の18年をかけて施工された比較的新しい教会である。前の噴水はイスラム教団体から贈られたそうである。
 教会の守護聖人・聖クレメントを祀っている内部空間は見応えがあり、巨大な天井は、不謹慎な言い方になるかもしれないが、フォトジェニックである。宗教施設なので、『写真撮影可能』と言っても、少しは遠慮して一部をお見せしたい。

聖クリメント主教座教会。前の噴水はイスラム教団体から贈られた
聖クリメント主教座教会の内部

旧市街側へ
 聖クリメント主教座教会の近くにあった橋を渡って旧市街側に移動する。川の北岸の小高い丘の上から町を見下ろすようにして、城塞跡がその威容を誇る。11世紀頃に丘を囲むように建造され、城壁は所々で途切れているが、その一部が残っている。城壁のある丘の上には比較的簡単に登ることができ、ここから望むスコピエの町はまさに絶景である。

スコピエの城塞跡
スコピエの城塞跡
スコピエの城塞跡
城塞跡から眺める市内
城塞跡から眺める市内

もう一つ、古い建物
 城塞の跡地でうろうろして景色を楽しんでいると、小学生ぐらいだろうか、小さな子供が犬を連れながら散歩している。私は犬に好かれるほうで、この犬もしっぽを振りながら私をじっと見ている。飼い主のお嬢さん、「ソーリー」と言いながら、私にナンをくれた。よほど、貧しく見えたのだろうか?確かに旅行中の私は、如何にも貧乏くさく見える格好を心掛けている。「心掛けなくても、いつもの通りでいいのでは?」と言うなかれ、「…会」という会議で、「たった一人、いつもスウェーターで出席しているのがいる」と言われるくらい?、結構おしゃれなのです?そしてクレジットカードにも気を付けてください。プラチナやゴールドは、時計で十分。誰かが見ています、普通カードがお勧めです。以上、『旅行の心構え』でした。
 「プラチナやゴールドは、時計で十分」と、言いましたが、旅行中は「正価?3000円の腕時計をネットで1000円で買った時計を持ち歩くようにしています。ある、開発途上国と言われるアジアの国で、同じ時計を持っていた若者が自慢げに「The same」と言って、握手を求められた記憶があります。彼は何を言いたかったのか、「The same」という言葉に含まれた意味を7年ほど経った今でも考えることがある。「お前、暇だな」と言わないでください。気になるんです。旅で覚えていることって、こんなことなのです。私の場合は。
 少女とワンちゃんにお礼を言って、城塞の東側を下りた場所にあるモスクに向かう。オスマン帝国によってスコピエが陥落した直後の1492年に建てられたイスラム寺院である。東西の歴史を、人々の交流を、…を考えながら旅をされる方々には、1492年は象徴的な年でしょう。西洋人の歴史観に立てば、コロンブス(イタリア名;コロンボ)が最初にアメリカ海域へ到達した年である。でも、アメリカにネイティヴが住んでいたはずで、…、まあ、そこは、1000年後?の世界の人々の歴史観にお任せしましょう。
 それにしてもこのモスクは、曲線を利用した実に洗練された美しい姿なのに、写真撮りが不十分で申し訳ありません。

アメリカ合衆国
 日本語によるアメリカ(米国)の正式表記は『アメリカ合衆国』である。でも、独立した各州が集まって、連邦制で国家が形成されているUnited States of AmericaのStatesが州を意味するのであれば、『合州国』が適切ではないかという意見も正しいように聞こえる。もっとも、『合衆国』は共同や協力を意味する『合衆』する国という造語だとすると、それにもうなづける。ものの本によると、この『合衆国』なる造語を最初に作ったのはマカオ在住のドイツ人宣教師達だったそうだ。

ムスタファ・パシナ・ジャミーヤ。オスマン帝国の攻撃でスコピエが陥落した直後の1492年に建てられたモスク
モスクの内部

ミレニアム
 いきなりですが、話が、そして空間が飛びます。スコピエ郊外の高さ1066メートルのボドノ山の山頂に建つ高さ66メートルの十字架、ミレニアム・クロスである。中腹までバス→ロープウェイ→頂上と容易に行けるらしく、シーズンには多くの人々がピクニックに出かけるとのことです。私めはもっと楽に、遠くからズームアップして写真を撮りました。古めかしい写真に見えますが、単にさぼったせいです。

ボドノ山のミレニアム・クロス

旧市街
 ムスタファ・パシナ・ジャミーヤの続きに戻りましょう。いよいよ、オールド・バザールに来た。この一角にマケドニア博物館がある。首都にあり、国名を名のる博物館だけあってマケドニア最大の博物館である。民俗学部門、歴史部門に分かれており、各地の民族衣装、伝統家屋の模型、オスマン・トルコ帝国以降の歴史に関する展示など、多岐にわたっている。
 さて、トルコに行かれたことのある方には、思わず、「懐かしい」と叫んでしまうエリアがオールド・バザールである。この市場の界隈にはトルコ人が多く住むこともあって近くにモスクがあり、イスラム教の雰囲気がたっぷりと漂う。20世紀初頭までの約500年間オスマン・トルコ帝国に支配されていた証である。
 ごめんなさいね、私の言う「うろうろ」して、つまり『そぞろ歩き』をしながら、市場のオヤジを冷かし、つまみ食いをし、ちょっと本気で『魚のスープとパスタ』を食し、(モスレムではないので)なにをちびりちびり飲り、…、庶民の文化を吸収し、…を楽しむ。私は旅をしているのです。

マケドニア博物館
バザールの入り口のひとつ。ビト・バザール付近
オールド・バザール
オールド・バザール
オールド・バザール
鍛冶屋さん

さらに旅を求めてマトカ峡谷へ
 スコピエの市内バスターミナルから60番のバスで1時間15分で終点、そして徒歩15分ほどでマトカ峡谷に着く。1、2時間に一本の運行であるが、通常の気候条件下では 運行 の定時制は守られているようだ。途中まで乗用車やバスで行くことができ、その後舗装道路を歩いて峡谷に向かう。実はこの観光地はダムによって造られた人造湖なのである。 風景を楽しんだり、ハイキングをしたり、ボート遊びを満喫できることからスコピエから気軽に行けるアウトドア・スポットとして人気のエリアなのである。
 ところが、異変が起こった。バスを降車して徒歩で峡谷の中間辺りまで来たところ、歩き始めてから30分後くらいだろうか、いきなり空が暗くなり、雨が降り始めた。渓谷どころか、普通の山の中でもこのような天気の急変は経験したことがない。雨の勢いはさらに強くなり、雷が鳴り始めた。恐怖に怯えた表情で皆さんが先ほど来た道を戻っている。よく理解できないが、戻るしかない、さっき降りたバス停に行って、いつ来るか分からない帰りのバスを待つしかない。濡れながら十人ほどかたまっていたので、その仲間に入れてもらったのだが、雨具を持ち合わせていないので降り続く雨を避けることができない。誰かが、「もう少し戻るとレストランがある」と言ったので、多くの人がそのリーダー?についていって、途中にあったレストランに入れてもらった。
 ここで、第一のお助けマン( リーダー? )に続いて、第2のお助けマンが現れた。このレストランの支配人がバス会社と電話で連絡を取りながら、「スコピエ行きのバスはこちらに向かっている。バス停ではなく、このレストランの前まで来てくれる」。「ブラボー」&拍手喝采。そして感動した。有志のチップを受け取らなかったのだ。「男だね」と言ったら性差別かな?「ヴェリー、ありがとう、お助けマン」。「いや、お助けパーソン」。切れ味が良くないね。

マトカ峡谷へバスで向かう。途中、道路工事中
バスを下車後、峡谷へ歩く 。人々が川遊びをしている
とうきび屋さん もいる
美しい風景が続く
ここはダムによって造られた人造湖なのだ
ボート屋さん
歩き始めて30分後くらい 経ったろうか、15時半頃から雨、雷が始まった