ギリシアのテッサロニキ

時差に気を付けて
 今日は、2019年6月25日。マケドニアのスコピエからギリシャのテッサロニキに移動する日である。6月1日に日本を出発してからクロアチア、スロヴェニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、アルバニア、マケドニアと、いわゆる中央ヨーロッパの南側を時差を気にしないで周遊してきたが、 いわゆる『夏時間(サマー・タイム)』の最中なのでギリシアとの時差は1時間である。 時差について話し始めると、UTCだ、CEST( 中央ヨーロッパ夏時間)だとややこしくなるので、ここでは時計の針を動かすだけにしたい。
 ややこしいことをもう二つ。 テッサロニキ のことを ソルン( COLYH )と言う人がいるが、スラヴ語だそうだ。 そして、これから向かうテッサロニキのバスターミナルはマケドニア・ バスターミナル と呼ばれている。
 マケドニア国のスコピエの バスターミナル から3時間半の行程である。 到着後、市内へは市バスの8番、31番、45番で移動できる。

ギリシアへの入国

 テッサロニキは、ギリシア第二の都市だけあって観光客の遊ばせ方も上手だ。市内の見所8ヶ所を約80分で周遊するバスが、約40分ごとに運行する。 2日間有効 の乗車券は €10 で、現在、博物館として使用されているホワイトタワーが 出発および終着の起点となっている。もちろん、乗車は走行経路の8 ヶ所の好きな所で可能で、 その際に乗車券を購入すればこのサービスを利用することができる 。私は、利便性よりも勝手気ままにぶらぶら歩きが好きなので、いつも通り、歩いて観光することにした。

ホワイトタワー
 ガイドブックによると、ホワイトタワーは12世紀頃のビザンティン時代に建てられたといわれる古い塔の跡に、オスマン帝国時代に港を囲む城壁を造る時に改築されたという。最初は砦として、後に牢獄として使われ、現在はイコンなどを展示した博物館として利用されている。テッサロニキのランドマークとして観光や交通の中心として活躍している。

イコンなどを展示した博物館として利用されているホワイト・タワー
塔から眺めるテルマイコス湾沿いの街
塔から眺めるテルマイコス湾沿いの街

 ホワイトタワーの近くに、テッサロニキ考古学博物館がある。地元や東西マケドニア、ハルキデキ半島などで発掘されたローマ時代の彫刻や装飾品などをテーマを分けて展示している。人気はアレキサンダー大王の父、フィリッポス2世の墓からの出土品である。

テッサロニキ考古学博物館
考古学博物館 の正面入口の両脇に置かれた大理石の石棺

旧所名跡に事欠かない
 さすが、アテネに次ぐギリシャ第二の都市であるテッサロニキは、町の至る所、旧所名跡に事欠かない。メイン・ストリートのエグナティア通りに入ると、私が心待ちにしていた、『ガレリウスの凱旋門』に出会える。古代ローマ皇帝ガレリウスが297年にメソポタミアに遠征し、ササン朝ペルシアとの戦いに勝利したことを記念して303年に建設された凱旋門である。表面のレリーフに、その勝利を称えるシーンが彫られている。
 解説書によると、元々は中央にドームがそびえ、4 本の大きな柱が並んでその両隣りにさらに 2 本の小さな柱が並んでいる構造だったという。街並みに当てはめてみると、凱旋門は街の 2 つの大通りをまたぐように造られ、そのうち 1 本がガレリウスの宮殿まで延びていたということであるから、現在我々が目にするのはその一部にすぎない。いずれにしても、壮大な都市の形成があったことがしのばれる。胸が躍ってきませんか。凱旋門があるエグナティア通りは、世界の歴史に華々しく登場するコンスタンティノープルとローマを結ぶ街道で、…、「旅万歳!」。
 話がそれるが、いゃ、もうそれているが、世界各地、各都市に『凱旋門』があるが、文字通り『(アルク・ド・トリヨーンフ)Arc de triomphe(戦勝のアーチ)』である。したがって、パリの『新凱旋門 グランダルシュ(la Grande Arche)』には、戦勝記念碑ではないので、正式名称に “triomphe” が付いていない。すなわち「凱旋門」ではないことになる。こんなことを考えながら古のテッサロニキに思いをはせていると、車のクラクションを鳴らされる。ウィンクをして謝って、メィンストリートを避けて山側に向かった。

ガレリウスの凱旋門
門があるエグナティア大通りはヴィア・エグナティアと呼ばれ、かっての東西交易の幹線ルートだった
ガレリウスの凱旋門

山側のロトンダ
 ガレリウスの凱旋門から山側(北側)に向かうと、ドーム型ロトンダが見える。ガレリウスの凱旋門と並んでテッサロニキ最古の建築物である。このロトンダは、歴史的には、元々はガレリウス皇帝の霊廟として306年に建設されたのだが、400年頃キリスト教の教会に改造された。そのため、地元の人々はイオルギオス教会と呼ぶ人が多い。そして、オスマントルコの時代にはモスクとして使用された歴史を反映して、名残のミナレット(尖塔)が残っている。ロトンダの見どころの一つは天井のドームであるが、ここでは5世紀頃のモザイク画が描かれ、正面(中央)のフレスコ画は9世紀の作品と言われている。
 我が国の建築構造物のプランナーや、研究者、専門家は、『ロトンダ』を日本語として使うほど、この円形ないしはそれに近い多角形プランの構造物を身近なものとして扱っている。私も個人的には、円形の空間が好きで 居心地(いごこち) の良さを感じる。訪れた時は内部を修理中であり、偶然にも内部構造の一部を見ることができた。詳細は技術的な話題になってしまうので、今日はここまで。
 ところで、『ロトンダ』で著名というか、旅行者にお馴染みなのは、2世紀初めに築かれたローマのパンテオンであろう。その壮大な円形神殿の中に入って上を見上げると、直径9メートルもあるオクルス(目)と呼ばれるクーポラ(ドーム)の天窓から光が注いでいる。 居心地 の良さというよりも、吸い込まれるような、何とも言えない畏怖を覚えたことを記憶している。

テッサロニキのロトンダ。世界遺産。もともとガレリウス皇帝の霊廟として306年に建設された
ロトンダの内部
ロトンダの内部
世界的に著名なロトンダであるローマのパンテオン(内部)

アギオス・ディミトリオス教会
 ここロトンダまで何とか迷わないで来た。逆説的に「こんなに迷わないなんておかしい、そろそろ危ない」。しっかりと地図を見て、次に訪問するアギオス・ディミトリオス教会の位置を確認する。ロトンダからまっすぐ北に数百メートルも歩けば、まさに教会の名前を付けた大通りの『アギウ・ディミトリウ通り』に突き当たる。左折して西に向かって歩けばバッチリだ。ここまでさんざん方向音痴談議に突き合わされた皆様は、「きっと迷うぞ、ロスト・マイ・ウェイだ」とお思いでしょう。「そうです。迷いません?でした、ハィ」。「本当です、ちゃんと行けました」。
 アギオス・ディミトリオス教会は、初期ビザンチン建築の代表例として知られ、1988年に「テッサロニキの初期キリスト教とビザンチン様式の建造物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。テッサロニキの守護聖人ディミトリオスが殉教した場所に5世紀に建造されたギリシャ最大のギリシャ正教の教会であり、2列の側廊があるバシリカ聖堂様式が際立つ。ガイドブックによると、1916年に火災に遭ったが、燃え残った建築資材を利用して再建されたという。中央の大理石で造られた半円形の水盤の位置は、ディミトリオスが殉教する前に監禁された場所と言われている。

アギオス・ディミトリオス教会
半円形の水盤は、ディミトリオスが殉教する前に監禁された場所と言われている
アギオス・ディミトリオス教会の内部 。初期のバシリカ聖堂の様式を現代に伝えている
アギオス・ディミトリオス教会の内部

ビザンティン様式は続く
 実は、トルコのイスタンブールでその多くが失われてしまったビザンティンの文化がこの町でこんなにも堪能できるとは思っていなかった。アギオス・ディミトリオス教会からすぐ南側にある市内バスターミナルを通り過ぎると、パナギア・ハルケオン教会がある。世界遺産に登録されているビザンティン様式の構造物群のうちの一つで、11世紀に建てられたレンガ造りの教会である。小さな教会にもかかわらず窓が多く、その対比からか余計に窓が気になる。
 パナギアとは、ギリシャ語で「全き聖」を意味する、生神女マリヤ(聖母マリア)の称号の一つだそうだ。

パナギア・ハルケオン教会
違う角度から撮ったパナギア・ハルケオン教会

文明の重圧から解放されて
 パナギア・ハルケオン教会とその周りをうろうろしていると、いつの間にかメインストリートのエグナティア通り、そして南側のエルムー通りにいる。ここに「来た」と言うよりも「いる」という感じである。街が狭いというか、文明の空間が広いというか、本当に豊かな気持ちになる、そして私の性向なのか、エキサイティングな気持ちになってしまう。
 それに加速度的に追い打ちをかけるのが、『中央市場』である。中央市場をミャッピングすると、エルムー通り辺りから南のツィミスキ通りの一帯である。午前中は肉、魚、野菜を求めて市民があふれ、ギリシャらしく甘いものを求めてお菓子屋そして花屋も忙しい。お土産屋も安さで人気である。この辺りだけで、都市の活気を味わうことができ、一日いっぱい楽しい時間を過ごすことができる。『日本語遊び』でよく出てくる『タベルナ(ギリシャ料理を提供する小規模なレストラン)』も新鮮な食材や安さで、地元民だけでなく旅行者にも大人気である。私は、旅行先の食について語らないのを旨としているのだが、『タベルナ』を出してしまったので、つまり、ギリシャで食について語るとしたら、『ギロ(GYRO)』は外せない。ここではポークギロやチキンギロ、ラムギロがメインである。形としては、パンをクルっと巻いてしまうスタイルで、皆さんは丸かじりする。プレートで出すギロプレートもある。いずれも、決め手は「ザジキ(ジャジキ)」ソースだ。ギリシャヨーグルトとガーリック、キュウリで作ったディップである。お試しあれ。

エルムー通り近くにある中央市場
中央市場 にあるお菓子屋
中央市場 にある花屋
安さで人気の土産物屋
中央市場 にある魚屋

腹もふくれたし
 青空、青い海、そよ風、海産物の食、グリーク・ホスピタリティ、決め手は悠久の歴史と文化、去りがたい街の1つである。誰かさんと一緒に訪ねたい街である。その中心は、アリストテレス広場である。古代ギリシャ哲学を代表する『ソクラテス(紀元前469年~前399年)、プラトン(紀元前427年~前347年)、アリストテレス(紀元前384年~前322年)』のアリストテレスである。当時13歳であったマケドニア王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の家庭教師であったアリストテレスである。広場の中心に鎮座され、多くの観光客のカメラのシャッターに応えていらっしゃる。ここから眺める山側・海側の両景色も本当に魅力的で、やはりシャッター音が続く。この美しく清潔感あふれる街を思い思いに楽しみながら散歩する人が多く、とくに、テッサロニキ駅や駅前バスターミナルからテルマイコス湾に沿ってホワイト・タワーまで向かうルートの途中にあるためか、人出が多い。この風景、この空間の雰囲気を言葉にしてしまうと、現実の景色や空間が逃げていきそうなので、今日はこの辺りで…。
 最後に、たくさんあるアリストテレスの名言と世間で言われるものの1つをご紹介したい。「母親は、夫よりも自分の子供の方を好む、何故ならば、彼らは自分のものであることがより確かであるから」。私には、この意味がどうしても理解できない。素直にとればいいのか?素直とは何か?皮肉を込めて言っているのか?男を脅しているのか?皆さんでご議論下さい。それが彼の目的なのかも。

アリストテレスの像
アリストテレス広場から海側を見る
アリストテレス広場から山側を見る