ブルガリアのソフィア(その1)

第一のお助けマン
 ギリシャのテッサロニキからブルガリアのソフィアへの移動である。マケドニアのスコピエからギリシャのテッサロニキに移動した時のバスの到着駅は、市内から遠くて不便なマケドニア・バスターミナル(前に説明したが、マケドニアという名前がついているが、マケドニア国のバスターミナルではなく、テッサロニキのバスターミナルをこう呼ぶ)ではなく、テッサロニキ鉄道駅の横にある駅前バスターミナルであった。この近くからソフィア行きのバスが出ていると聞いた。ここは予約しておいたホテルにも近いので、前もって買っておこうと駅前バスターミナルのチケット売り場に行ったのだが、用をなさない。少し暗くなってきて不安になる。
 ここで、 お助けマンが現れた。さっきまで同じバスでテッサロニキに来た人だった。「コニチワ、ニッポンイキマセタ」。「えっ、えっ?」。「オサカ、フクオカ、…、イキマセタ」。外国人の容貌から年齢を推察するのは難しいが、女性の年齢を当てるほど難しくはないが、いや、女性には年齢がないものと考えたほうが平和であるが、…、(話を元に戻して)、60代に見えた男性だったが、悪い人には見えない。「こっちに来い」と今度は英語で言って、向かい側の方向を指さした。バスターミナルではなく、前の大きな通りを渡って左側にソフィア行きのバスを運営するバス会社があるという。 結論は、「お助けマンを信じて良かった」。
 『ARDA TUR BULGARIA』という会社の事務所で無事にバス・チケットを購入できた。「当日、発車30分前に事務所に来るように」と言われた。事務所の前は、バス通りで駐車場がないためだと言う。この美女、本当に美女でしたが、優しく「ここのトイレットもご自由にお使いください」。思わず、「Could I have your name?」と言うところだった。

第二のお助けマン
 昨日の美女にお会いしたく、アルバニアでおばあちゃんと孫から買った『アルバニアの帽子』できめて、乗客のピックアップ時間よりもかなり早い時間にバス乗り場、いや、美女の事務所に向かった。位置を確認しながら、「よし、駅前バスターミナルに着いた」。「ここから道を横断して左へ」、「あれっ、おかしい、左に何も無い」。「事務所がない」。「落ち着いて、時間はたっぷりある」。「そもそも、駅前バスターミナルのどっちの出口だったのだろう」。「あの時は暗かったからかな、分からなくなってしまった」。汗で帽子を脱いでかぶり直した時に、「アルバニア」と言われた。「うっ、?、アルバニア」。見事な体格のレスラーみたいな男だった。ちょっと怖かったが、「(アルバニア人ではない)ジャパニーズだ」。この男、私の帽子を指さして、「俺はアルバニア人だ」と笑顔を見せた。「ソフィアへ行くのか?こっちだ」。私が思っていた方向とは全く違うところへ向かって5分 on foot。「ここだ」。私はまたしてもアルバニア人に救われた。
 国籍を表すものを身に着けるのは、国によってはある意味で危険なことであり、私も各国を旅する時に注意を払っているのだが、『ALBANIA』には何度も救われた。『帽子の恩返し』だ。本当にありがとう。「ファレミンデリト」で別れた。
 バス乗り場の事務所に向かった。笑顔で「ぐっ、モーニング」。掃除のおばさんが、トイレットをきれいにしている最中だった。ありがとう、おばさん。

いざ、ソフィアへ
 ソフィアに向かうまでに話に時間がかかった。あらためて、ギリシャのテッサロニキからブルガリアのソフィアまでバスで4時間半。座席指定の豪華な『VIPバス』だ。そして、道路整備のおかげで快適かつ短時間で移動できる。出発後に車内サービスが始まって、水と菓子パンが配られる。予期しないサービスはうれしい。
 ギリシャとブルガリアの国境手続き(イミグレーション)もスムーズに行われた。事前の情報では、ブルガリアの国境手続きではパスポートの他に別のID (学生証や運転免許証など)を要求されることもあると言われていたが、実に簡単だった。今日の為替レートも表示されている。写真を撮って、早速、電卓で計算をする人もいる。

テッサロニキからソフィアへ向かうバス
バスの中で水と菓子パンが配られる
本日の為替レート
国境通過
ソフィアが近い

私の旅のくせ
 日本を出て4週間経過。今回の一連の旅行で、ここソフィアは最後の滞在地で、あと1週間で帰国だ。私の旅のくせなんだろうか、この町も遠くと言うか郊外から攻める、そう、今回の最初の訪問先は、ソフィア市内の名所や人々ではなく、『リラの僧院(Rila Monasty)』(あるいは『リラ僧院』)である。バスを乗り継いで、個人的にリラの僧院を訪問できるが、バスの発着時間の関係でそれだけで一日を要してしまって、今回の旅行の目玉である「ボヤナ教会(Boyana Church)』には行くことができない。ところが、無理をせずに1日で両方に行くツァがあったのだ。明日の見学希望をホテルを通じて旅行会社に予約する。€35であった。それなりの料金を払うホテルのせいか、出かけるのがホテルの朝食サービス開始前だったので、ランチボックスを用意してくれた。

ボヤナ教会
 ボヤナ教会は、ソフィアの南西方向に位置するヴィトシャ山麓にある。市内から約8キロメートルと近く、ここだけに行こうとすると車で30分ほどで行けることから、ソフィア市民の週末の憩いの場となっている。10世紀後半から11世紀初頭に王家の礼拝堂として創建されたブルガリア正教会である。後年、2回増築されたため、異なる時代の建築様式が混在している。1階建ての教会の東棟(写真右部分)が創建時のものである聖ニコラウス聖堂、真ん中の2階建ての中央棟は13世紀創建のパンティレイモン聖堂、そして西棟(写真左部分)は19世紀半ばに増築された。これらは通路で結ばれ,全体として一つにまとまっている。
 この教会を有名にしているフレスコ画は、狭い空間に圧倒的迫力で迫ってくる。教会内部は撮影禁止であるため、お見せできないのが残念で申し訳ない。このフレスコ画は、ヨーロッパ・ルネッサンス(Europe Renaissance)の源と言われ、1979年に世界遺産に登録されたことも付記しよう。

ボヤナ教会入口
異なる時代の建築様式が混在している
木を使用した建築構造の一例

リラの僧院
 ブルガリアで最大の、かつ最も著名な正教会(ブルガリア正教会)の修道院である リラの僧院(リラ僧院)に向かう。先ほど巡ったボヤナ教会から2時間半ほどでリラ山脈の心臓部にあるこの僧院に到着する。この修道院であるリラ修道院がユネスコ世界遺産に登録されたのは1983年である。歴史的には、10世紀に創立され、イヴァン・リルスキと言う僧が、隠遁の地としてこの地を選び、小さな寺院を建立したのが始まりである。その後キリスト教、そしてブルガリア教育・文化の重要な拠点として発展し、14世紀に現在の形になったということです。
 オスマン帝国の500年間にわたる支配下でも、この僧院だけはキリスト教の信仰、ブルガリア文化に触れることが許されたということだが、その理由については私には分からない。
 敷地の中央に建っているのが聖母誕生教会。1833年の大火後、再建されて僧院で中心的な建物となっている。アーケードとなっている白黒の縞模様のアーチ内には、壁と天井一面にフレスコ画が描かれている。教会内部の壁は、黄金に輝くたくさんのイコンで飾られ、多くの人達の視線を集めていた。
 僧院内で唯一1833年の火災を免れたのが、石造りのフレリョの塔である。14世紀に建てられたそのままの姿を私達は見せてもらっているわけで、身震いするほどの感動を覚える。塔の外壁に描かれた壁画も見逃さないように。

リラの僧院へ向かう高速道路
リラの僧院の入り口
聖母誕生教会
僧院内部
唯一火災を免れた「フレリョの塔」 。 壁一面がフレスコ画で覆われている
天井画
天井画

ソフィア市内見物開始
 隣接するソフィア中央駅とソフィア中央バスターミナルから南に向かうメインストリートがマリア・ルイザ通りである。ターミナルから歩いて10分ほどでライオンの像が建つライオン橋に着く。予約したホテルはすぐ前にあり、地下鉄駅も目の前だ。この街には東西・南北を走る地下鉄があり、便利な交通システムであるが、行きたい場所への行き方をホテルの従業員に聞くと、「徒歩が一番」という答えが返ってくる。歩いて30分くらいは徒歩圏内と考えているみたいで、「途中で楽しむ観光資源が多いのだから楽しみながら行け」と、言っているのかもしれない。と言うことで、歩きながら由緒あるソフィアの歴史的建造物を楽しみましょう。
 ホテルからマリア・ルイザ通りを南下して5分ほどだったろうか、右側にソフィアのシナゴーグが見えてくる。私は世界の都市で十数か所のシナゴークを見てきたが、一般的には地味な感じの外観が記憶にあるが、ここソフィアのそれは、御覧のとおり、派手とは言わないが明るい感じの美しい建造物である。
 ユダヤ人の勢力図は、南欧系(スペイン系)セファルディムと東欧系アシュケナジムに分けられるが、ソフィアのそれはセファルディムであり、しかもヨーロッパで最大のシナゴーグである。1909年に完成したソフィアで唯一のユダヤ教寺院である。落成式には、ブルガリア王のフェルディナンド1世(在位1887~1918年)とエレオノラ王妃がご臨席席されたという。
 シナゴーグの横には、これまた美しいセントラル・ハリと呼ばれるショッピングセンターがある。1910年に建てられたかつての中央市場で、焼き立てのパンや珍しいものでは水牛のヨーグルトなどの食品、服、コート類のファッション、宝石など、何でもありである。朝早くから夜遅くまでの営業がありがたい。せっかくブルガリアに来たのだから、上質のワインが欲しい。おじさんが一人で店番をしているワインショップを覗いた。身なりを見て貧乏人に見えたのか、私にとっては旅の安全上有難いことなのだが、安い品を並べる。「他のを」と言うと、もっと安いのを出してくる。「違う」と言うと、小瓶を出してくる。結論から言うと、このおじさん、まったく英語ができなかったのだ。私のジェスチャーから推測して対応していたのだ。ユーロは知っているみたいなので、ある数字を紙に書いて見せると、笑っている。冗談だと思っているらしい。でも、私が真剣な顔をすると、奥から出してきました。ボトルの扱い方が違ってきました。余程うれしかったのか、商売になると思ったのか、俄然、元気になった。「バイバイ、私は忙しいのだ」と日本語で言って別れた。

ライオン橋
ソフィアのシナゴーグ
シナゴーグに隣接するセントラル・ハリ (中央市場)。 ーニヤ・バシ・ジャーミヤの向かいに 位置する
セントラル・ハリの内部