ブルガリアのソフィア(その2)

私は忙しいのだ
 『ブルガリアのソフィア(その1)』からの続きである。
ゆっくりとした旅は続く。セントラル・ハリを出てすぐ前のマリア・ルイザ大通りを挟んでバーニャ・バシ・ジャーミヤが君臨するように建つ。1566年、オスマン朝最高の建築家と言われるミマール・スィナンによって設計されたイスラム寺院である。名前の『バーニャ』は、すぐ東側にある中央浴場(現在は、ソフィア歴史博物館)に由来するそうだ。外観の重厚な姿だけでなく、内部のシャンデリアやモザイクも人目を惹く。
 いつの間にか地下鉄一駅分を歩いて、地下鉄M2線のセルディカ駅付近まで来た。この辺りはスヴェタ・ネデリャ広場と言われ、まさに町の中心である。広場に建つ石造りの立派な教会は、ブルガリア正教会ソフィア主教職の聖堂、聖ネデリャ教会である。シェラトン・ソフィア・ホテル・バルカンのすぐ隣にある。オスマン帝国から解放された後、周辺の教会や神学校を集めて建てた教会だという。私が覗いた時には入場することができなかったが、数えきれないほどのろうそくが灯されて壁に描かれたイコンを照らしているそうだ。
 そして、ソフィアに現存する最古の建物である聖ゲオルギ教会である。先程通ったシェラトン・ソフィア・ホテル・バルカンと大統領府の建物に囲まれて建っている。創建はローマ時代の4世紀と言われ、聖堂は赤いレンガで造られている。
 ソフィアに現存する最古の建物である聖ゲオルギ教会の後は、地下鉄M2線のセルディカ駅からすぐの、これまた歴史のある聖ペトカ教会を訪問する。オスマン帝国に支配されていた14世紀に建てられたブルガリア正教会の聖堂で、名前にあるように、殉教者の聖ペトカを祀る。この辺りは、『セルディカの遺跡』が連続する、まさに『歴史の空間』である。
 それにしても疲れた。肉体的にではない。精神的と言うか、文化文明の連続技に圧倒されてしまったようだ。ちょっと休もう。「心の安らぎは子供が一番」と思っていたら、「こんにちは」と挨拶された?「本当に」。

バーニヤ・バシ・ジャーミヤ。1566年、オスマン朝最盛期に建立されたイスラム寺院
バーニヤ・バシ・ジャーミヤの内部
バーニヤ・バシ・ジャーミヤの内部
石造りの聖ネデリャ教会
4世紀にローマ帝国によって建設された聖ゲオルギ教会 。ソフィアに現存する最古の建物である
聖ペトカ地下教会。オスマン朝の治世下にあった14世紀に建てられた
違う角度から見た聖ペトカ地下教会
「今日は(こんにちは)」 。左側の少年に注目

いやされて行動再開
 今日の後半のスタートは、地下鉄工事の際に偶然、発見された地下の『セルディカの遺跡』である。古代都市 『セルディカ』、現在のソフィアである。 遺跡の周りをぶらぶらしていたら、やはり、迷ってしまって、同じ所にたどり着いてしまう。同じような遺跡が連続するために目星になるものが無く、なおさらこんがらかってしまう。方向音痴は空間の幾何学が、前後左右がバラバラになってしまうのだが、このような遺跡に囲まれていると空間の幾何学だけではなく、時間の前後が狂ってしまって、過去に戻ってくれないかなと、考えてしまう。楽しいだろうなぁ。
 お助けマンに助けられて地上に出ることができ、今日の後半の研究室に向かう。国立考古学研究所付属博物館である。途中、旧共産党本部の建物が見えたが、ちらっとやり過ごして、博物館に急ぐ。元々はオスマントルコ時代の1494年建立のモスクだったのだが、1905年から国立考古学研究所の付属博物館となっている。1階の広間はローマ時代の発掘品の展示コーナー、2階は中世ブルガリアの教会文化を主としたコレクションが展示されている。博物館のスタッフはとても親切で、「マダラの騎士像は必見、absolutely recommended」と気合が入っている。「等身大とはいえ、レプリカなのに、何故薦めるか。その理由は、本物は風化しており、これは20世紀初頭に作られたため、いい状態で観ることができるからです」。観るのはここが初めてであるから、両者の違いは分からない。「ありがとう」。
 帰り際に簡単な解説書を貰ったので、翌日に、また観に来ました。いました、「必見、マダラの騎士像」の親切スタッフが。じっくりと、私の専属説明員のように教えてもらいました。それによると、ブルガリア北東部の古都プリスカから南へ約10キロメートル離れた場所にある岩石レリーフが、1979年にユネスコ世界遺産に登録された。作者不明、1000年以上の年月を経た現在でも、手に槍を持った騎士、馬の足元で死んでいくライオン、猟犬の姿を識別できるそうだ。「岩壁の23メートルの高さに掘られた彫物を観ない手はない」と、説教されてしまった。「本当に疲れた」。
 スタッフに言われたわけではないが、この博物館はお勧めです。展示品の多くは、紀元前5~3世紀のトラキア文明黄金期とオドリス王国を紹介していて、宝物室にはトラキアの墳墓から出土したものもあるなど、貴重な展示品に感動すること、間違いありません。宝飾品、黄金のマスク、…、等と、私も気合が入ってきました。

ローマ時代の遺構であるセルディカの遺跡
ローマ時代の遺構であるセルディカの遺跡
ローマ時代の遺構であるセルディカの遺跡
旧共産党本部
国立考古学研究所付属博物館
立考古学研究所付属博物館のマダラの像
古学研究所付属博物館 の展示物
古学研究所付属博物館 の展示物
古学研究所付属博物館 の展示物
宝飾品
黄金のマスク

また気合が入ってきた
 帰り際に、お友達になった国立考古学研究所付属博物館の親切だったスタッフに偶然に出口であったのだが、「次はロシア正教会の聖ニコライ・ロシア教会を薦めるよ。メインストリートのツァル・オスヴォボディテル通りを東に200メートルくらい行けば見えるよ」と教えてくれた。
 さて、教わったとおりにツァル・オスヴォボディテル通りを東に歩くと、ラコフスキー通りとの交差点に、『聖ニコライ・ロシア教会』がある。1882年の露土戦争で、ロシア帝国によってオスマン帝国からブルガリアが解放された後に、破壊されたサライ・モスクの跡地、結果的にはロシア大使館が所有する土地に1907年~1914年までの7年間で建設された。ロシアの外交官セモントフスキ・クリロの命令によって、当時のロシア皇帝で後に聖人に列せられたニコライ2世を祀っている。ロシア人建築家のM.プレオブラジェンスキーの設計で、黄金で彩られた5つのドームとエメラルドの尖塔をもつ美しい建物である。地元の人々は聖ニコライ・ロシア教会を単に『ロシア教会』と呼んでいるみたいだ。

ロシア正教会の聖ニコライ・ロシア教会
違う角度から見た聖ニコライ・ロシア教会

 聖ニコライ・ロシア教会のすぐ近くに、この町の名前『ソフィア』(古代ギリシア語で『知恵』を意味する)の由来になっている『聖ソフィア教会』がある。東ローマ帝国時代の6世紀にユスティニアヌス1世によって創建された教会である。オスマン帝国時代にはイスラム寺院として使われた歴史を持つ。2度の地震で被害を受けたが、20世紀に入ってから修復が進められ、現在に至っている。教会の裏には文豪イヴァン・ヴァゾフ(1850~1921年)の墓、教会の横には無名兵士モニュメントもある。
 ガイドブックによると、『ビザンティン様式』の教会と紹介されているが、私は皆様にうんちくを語るほどのバックボーンはない。『ビザンティン』は長い歴史を持つために、その定義を確定することはとても難しいのだ。確かにかつて複数回訪問したトルコのイスタンブールのハギア・ソフィア大聖堂やイタリアはラベンナのサン・ビターレ聖堂など、平面にドームや半ドームをかける大規模な聖堂様式の特徴的な美しさは今でも覚えているが、…。

町の名前の由来になっている聖ソフィア教会。レンガ色が青空に映える
聖ソフィア教会の地下博物館の案内
教会内部
教会内部
教会内部

いつまでも覚えていたい
 ソフィアの訪問者にもっとも人気のある見学場所は、聖ソフィア教会の隣にある『アレクサンダル・ネフスキー大聖堂』だそうだ。1877年の露土戦争でオスマン帝国支配を終わらせ、ブルガリアに勝利をもたらしたロシア帝国の20万人の兵士を称えて建設された聖堂である。ロシア人建築家ポランセフの設計で、完成は1912年、バルカン半島で最大の正教会の聖堂である。大きなドームがある聖堂部の高さは45メートル、鐘楼の高さは50.2メートルという高さもさることながら、黄金色のドームの輝きがまぶしい。寺院のファサードは、端正で美しい。ネオ・ビザンティン様式で建てられた寺院の地下には、国中から集められたイコンを展示しており、ブルガリア国立美術館の一部としての機能も担っている。

南側から見たアレクサンダル・ネフスキー寺院
アレクサンダル・ネフスキー寺院のファサード
教会の内部
教会の内部
教会の内部

国立美術館
 外国に住むブルガリア人の基金によってオープンした国立美術館である。古典的で端正な姿の中に華やかさも感じられる外観は、壮麗そのもである。よく言われる『白亜の殿堂』である。つい、最近(2015年5月)にオープンした。周囲の解放感もあってか、また、人気のアレクサンダル・ネフスキー寺院に近いため人通りが多いせいか、テントを張った野外市場が人気を呼んでいる。日用品、上質の衣類、蜂蜜などの食品、バラやヨーグルトを使った化粧品、…、と品揃えもバッチリである。
 個人的には、ソフィアで最も好きな空間で、エントランスの縁石に座ってサンドイッチを食べていたり、行儀が悪いと言うなかれ、最高においしいのである、木陰で昼食を囲んでほのぼのとした雰囲気の家族を見て、ホームシックにかかってしまった。あと2日だ。

『白亜の殿堂』 国立美術館
人気の野外市場
三つ巴のどれが主役か。この空間にぞくぞくしたことを思い出す
George Papazof(1894-1972)  Artist’s Mother(1924)
Auguste RODIN(1840-1917) Eternal Spring(1881)

帰りたい
 今日は疲れた。しかし、スポーツをした後の適度な疲れのように、爽快感がある。作品、建物、空間そして人々、旅をたっぷりと楽しませてもらった。幸い、地下鉄M2の駅も近い。地下鉄でホテルに向かおう。野外市場で買い求めた上質のワィンを冷やしてもらわなくては。
 ゆっくりと風景をかみしめるように歩いていると、立派な建物と騎馬像が目に入った。国会議事堂広場の中央に建つロシア帝国皇帝のアレクサンダル2世(1818~1881)を称えて作られた騎馬像であった。彼は、1877~1878年の露土戦争の勝利によって、オスマン朝支配からブルガリアを解放した英雄なのである。「さらば、ヒーロー」。

国会議事堂広場の中央に建つロシア皇帝アレクサンダル2世の騎馬像