崇聖寺三塔
『大理観光』の午前は、「セーラー服とルーシャン(乳扇)」で気持ち良く締めくくったが、午後は、予定通りに蒼山(そうざん)応楽峰のふもとにある『崇聖寺三塔(すうせいじ さんとう)』に向かう。崇聖寺三塔とは、崇聖寺とその敷地内の三つの仏塔の総称である。崇聖寺は、9世紀から10世紀の南詔・大理国時代に造られた仏教寺院で、王室の菩提寺となった由緒あるお寺であった。清の時代に焼失したが、2005年に再建され、現在に至っている。
対称形をなすように配置された三つの塔は、清の時代に自然災害と戦禍にみまわれたが、倒れずに残り、現地の人達の崇拝の対象となっている。中央の主塔(千尋塔)は、南詔の勧豊佑時代(824~859年)に建てられた16層の方形密檐式仏塔である。レンガ製で高さ69.13メートルである。主塔の南北に建つ2つの小塔(北塔および南塔)は大理国の時代(12世紀)に建てられた10層の八角形密檐式仏塔である。レンガ製で高さは42.19メートルである。塔の後ろには聚影池という池があり、水面に映る三塔の姿は美しい。
洋人街界隈
美しい三塔に別れを告げて、大理古城のホテルに戻る。午後4時半は、この地域ではまだ明るいが、夜行列車で今朝着いてすぐの観光開始だったし、ちょっと眠い。元気なのはセーラー服のお嬢さん達と仲良くなったからだ。そうだ、「ルーシャン」の友達の「ワィンを仕入れなきゃ」ということで、ホテルから近い洋人街に出かけた。大理古城の中心部だけあって、おしゃれな店が並ぶ繁華街であり、多くの観光客は中心広場で行われているパフォーマンスに興じていた。
ペー族の村・喜州へ向かう
『大理古城』西門から洱源『(じげん)』行きバスで30分、『喜州(きしゅう)』で下車。ここから目的の『喜州古鎮』近くまで1キロメートルほどなので歩くこともできるが、オート三輪で5元と安い。現在では日本で見ることがほとんどないので、若い方々はご存じないかもしれませんが、主に荷物を運ぶオート三輪である。「お前、運転するか」というようなジェスチャーで冗談を言う?元気なおばさんは、飛ばした、飛ばした。若い頃、『族だった』のだろうか?『オート三輪の族』はないか。そう言えば、飛ばしおばさんは自分を指差して、族は族でも『ペー族(白族)』と主張していた。
さて、喜州は、大理古城から17キロメートルほど北に行った、洱海(じかい)の西岸にあるペー族の村である。南詔国の成立については先に簡単に述べたが、ここは、その軍事拠点、商業貿易の中心として栄えた地域である。約1000年を超えた現在でも、その町並みの一部が残っているので、多くの観光客が訪れる。特徴は、「白壁と青瓦を持つ『ペー族民居』」である。88軒の民居のうち、特に『厳家大院』、『董家大院』、『楊家大院』の3軒は保存状態が非常によく、明清時代のペー族独自の建築様式をそのまま残しているという。
新しい喜州
古き町並みを想像して、おばさんのオート三輪で村に入って驚いた。新しい建物と言うか、建設中のそれが連なっているのである。人もまったくいない。2014年3月のことである。近代的な建物が向き合って建ち、間にある道路の入口には、『喜州古鎮 喜州市場』と記された石塚が立っていた。しかし、古鎮ではない。『喜州古鎮』という村の、新しく建設する『喜州市場』という意味である。『人民法廷』も立派な建物であった。
やっと喜州古鎮
建設中の喜州市場から少し歩いて、やっと『喜州古鎮』にたどり着いた。大きな門から中に入ると右側にカウンターがあって、ペー族の衣装を身に着けた係員が「票(ぴょう)」と声をかけてくる。ここで票(チケット)を買い、入場する仕組みである。
玉洱公園
今日は、『大理』から『麗江』に移動する日である。ホテルから少し歩くとバス乗り場があり、麗江まで4時間、1日に40便もある。まだ、朝8時なので『大理』でまだ訪ねていないホテル近くの『玉洱園』に散歩に出かける。植栽をし、湖を作り、そこに小さな橋を架けるなど、中国伝統の工夫を凝らした公園である。公園の朝のすがすがしい空気がおいしい。自分もその一人であるが、時間がくると多くの観光客が訪れて雑踏が始まる。それを狙って、お土産屋さんや食堂のおばさん、おじさんが準備をしている。私も、朝ご飯代わりに焼き立ての大理の特産品『核桃餅(くるみもち)』をいただいた。本当においしい。私の年令ではもう遅いが、知人の中国人のおばあちゃんに教わったのだが、「クルミを毎朝食べていると頭がよくなる」そうです。私は頭が悪そうに見えたのか、職人が一つサービスしてくれた。「ありがとう」。