中国・雲南省 麗江郊外(1)~束河古鎮~

大理から麗江へ
 大理から麗江へは、快速列車で約2時間、バスで約4時間で行くことができる。既に述べたように、古城内にホテルを取っているため、列車を利用する場合は古城側から大理駅のある下関側までの移動に時間を要するし、列車の便数やチケットの入手の難しさを考えると、早朝6時から一日に40便もある麗江行きのバスの利用の方が便利である。バスも下関発であるが、途中に大理古城前の通りにある乗り場を通るので、わざわざ下関まで移動する必要はない。ホテルからバス乗り場まで歩いて10分もかからなかった。待合室のようなものは無く、2畳程の小屋のような所にいたおばさんに「70元」と言われ、「えっ」と言ったところ「63元」と言われた。皆さん、市内の旅行代理店や宿泊先のホテルで70元とか90元でバスチケットを買ったみたいだが、「63元」を支払った私の「+3元?」は妙にリアルに響く。このおばさん、特定のバス会社の社員ではなく、旅行代理店の人みたいで、バス会社に次々に電話してバスの到着時間を教えてくれた。
 さて、麗江が近づいている。道路標示を見ると、ついついカメラに収めてしまう。英国の高速道路(Motorway)で使われているCarriageway(車道)やOvertaking lane(追い越し車線)の表示が懐かしい。よく誤用されているので、この際ですので、道路の正確な英語表示を掲げたい。道路は英国ではRoad、米国ではHighway、高速道路は 英国ではMotorway、 米国ではExpresswayと呼ばれます。「ハィウェイを突っ走ってはいけません。高速道路ではなく、道路なんですから。スピード違反ですよ」。余計なことかもしれませんが。
 麗江バスターミナルに到着した。壁に表示されていた「麗江→大理」の運賃表を見て納得した。「大理→麗江」の料金として私が支払った「63元」と同じであった。つまり。こういうことです。私は大理のバスの停留所でチケットを買ったので、正規運賃の「63元」、他の乗客はホテルの手数料とか、旅行代理店のおばさんに連れてきてもらったなどのサービス料金を含んでいるので、その分高かったということです。納得。

英国の高速道路(Motorway)の一部で使用されている表示。Carriagewayは車道、Overtaking laneは追い越し車線である

束河古鎮へ向かう
 今日は、忙しい。麗江古城には車両やバイクは入ることができないので、バスターミナルから古城の北側までタクシーで5分、15元/3人。ホテルまで徒歩10分くらいであった。チェックインを済ませて、お昼過ぎであったので、葡萄パンを買い求めて、バスの中で、…。私の旅の仕方らしくないが、早く行きたいのである。これから市内ではなく郊外の『束河古鎮』に出かけるのである。
 『束河古鎮』は、麗江古城の北西、約4キロメートルに位置する。資料によると、『束河(そくが)』は、ナシ語で「高い峰のふもとにある村」という意味である。束河古鎮は標高2440メートル、面積約5平方キロメートル、中心保護区域1平方キロメートルとある。ナシ族の最も古い集落の一つであり、ナシ族を中心に約1000世帯、約3000人が暮らしている。本ブログの『大理』で述べたが、ここもかつて『茶馬古道』の要衝として栄えた町で、1997年に麗江古城とともに世界文化遺産に登録されている。
 御存知のように、張芸謀(チャンイーモウ)監督、高倉健主演の『単騎、千里を走る』の撮影は、この村を中心に行われたことでも有名である。
 麗江古城付近からの行き方は、タクシー、乗り合いタクシーなどもあるが、バスセンターから出発する公共バス11路、6路も便利で、かつ安い。11路バスのルートを写真で載せておいたが、バスセンターから乗車すると20番目の『束河路』下車、徒歩10分である。

バスの運行経路。束河路口へ11路バスで

束河古鎮へ歩く
 大きな門から入って駐車場を抜けると、『束河古鎮』と書かれた山門のような入口が見える。北は玉龍雪山、南は象山、文筆峰が眺められ、美しい緑が広がっている。
 参道のような道を歩いていくと、『茶馬歓迎広場(Tea-Horse Welcoming Square)』と呼ばれる賑やかな広場がある。『茶馬歓迎広場(Tea-Horse Welcoming Square)』の看板が立っていて、『茶馬古道』を移動してきた隊商の一団がここで一休みしたことなどが書かれていた。かつて交易で栄えた束河古鎮らしく、この広場でも客を待つ観光馬車が並び、多くの露店の食べ物屋さんなどが続く。観光客の流れは一様で、私もその流れに従って歩くことにする。
 『四方聴音広場』と呼ばれる広場に辿り着いた。横にあるステージでは、毎日15時半から1時間、ナシ族、イ族、チベット族、ペー族の歌や踊りが上演される。残念ながらたった今、終演時間が過ぎてしまった。10分前に終わっていた。後で知ったことだが、夜の7時半から焚火を囲みながらナシ族の伝統的なダンスが始まる。これまた、時間が取れない。仕方がないのでステージの写真を撮って、石造りの民居を楽しみながらすり減った石畳をさらに進む。
 やっと『水』が見えてきた。今までどの町の古鎮であっても古鎮につきものの水の流れや池がここでは見られなかった。ましてや、『束河古鎮』は、「清き泉の里」とたとえられ、「麗江古城の縮図」と言われる古鎮である。やっと水を見たのである。小さいながらも『青龍河』という立派な名前の小川である。

農村風景と古い町並みの調和が美しい束河古鎮
麗江の北西4キロメートルに位置するナシ族の村・束河古鎮の入口
茶馬歓迎広場
茶馬歓迎広場で客を待つ観光馬車
茶馬歓迎広場の露店の食べ物屋さん
自在に愛馬を操る元気なおばさん
四方聴音広場にあるステージで多くの民族による歌や踊りが上演される

三眼井
 水の話が出てきたので、早速、水を利用した土木に関する施設をご紹介します。『三眼井』と呼ばれる古い井戸のことです。読んで字のごとく、目が3つある井戸である。つまり、水のたまる場所が連続して3か所あって、一番上から飲用水、二番目は野菜や食品を洗い、最後の三番目は洗濯用に使用するという、実に合理的に考えられた井戸のことである。『三眼井』は麗江古城にもある。
 相当以前から話題になっている話で恐縮であるが、水道には上水道と下水道があることがご存知ですね?日本やイランのように、水道水を飲料水として直接飲める国が少ないこともご存知ですね?口にする水をトイレの汚物を流す水として使っていることは、とても贅沢なことなのですね。そこで、上下の間を取って『中水道(ちゅうすいどう)』という考え方が提案されたのです。中水道とは、生活排水や産業排水を処理して循環利用する方法で、雑用水とも呼ばれる。主な用途は水洗トイレの用水や公園の噴水などで、当然のことながら人体と直接接触しない目的や場所で用いられる。『三眼井』から『中水道』の話になったが、水の問題は、どの国においても、どの分野においても、将来的課題になるであろう。
 三眼井の辺りは、住民の生活の場であることから、旅行者にとってはまさに人々の「生活実感」を観察できる場所でもある。(場所や地域にもよるが)このところ、まさに急変している風景は、喫煙者の数が激減していることである。中国に限ったことではないが、『禁煙』が普及することは大歓迎である。
 そして、今日の一枚。おじいちゃんの目線と、背中におぶっているお孫さんの目線がぴたりと合った瞬間の写真である。

三眼井。三か所の水が溜まった場所で、一番上から飲用水、二番目は食品を洗い、最後に洗濯用に使用するという井戸
グッ・タイミングで撮れました。羨ましい
何という遊びだろう。皆さん、気合が入っていた
触ることができなかったので確認できなかったが、材料は木だろうか、石だろうか

四方街
 『青龍河』まで来たのに、『三眼井』で道草をしてしまった。楽しんでしまった。『青龍河』に戻って河に沿って上流に向かうと、村の中心の『四方街』に辿り着く。束河の四方街は、長さ33メートル、幅27メートルの小さなエリアである。ヨーロッパの古い町などで行われる広場や通りの『自動洗浄』がここでも行われていた。自動洗浄とは、私が勝手に名付けたもので、人通りが少ない時間帯に水路をせき止めて水を路上に溢れさせ、そのエリアを洗う方法である。エリア全体を洗うことによる清潔保持はもちろんのこと、季節によっては気化熱を利用して日中の灼熱を抑える効果もある。この合理的システムによる洗浄は、磨り減った石畳に陰影を与え、一種の風情をかもし出していることも見逃せない。明の時代から行われているというから驚きである。
 もっとも、日本でも神社仏閣だけでなく、田舎の民家でも公道から自宅までのアクセスあるいは空きスペースに小粒の砂利を敷いておいて、朝に箒目(ほうきめ; 箒で地面を掃いたあとのすじ)をたてていた記憶がある。私の小学生の頃の役目であった。随分と昔のことである。

さて、どっちへ行くか
四方街の説明
四方街。中心部にある四角形をした石畳の広場

青龍橋から茶馬古道博物館
 四方街の西側に青龍河にかけられたおおきな『青龍橋』がある。この石橋は明の時代に架けられたもので、長さ25メートル、幅4.5メートルと大きく、麗江地域では最古の橋である。ナシ族の言葉で「ジア橋」とも呼ばれ、その意味は、「泉から湧き出た水が集まってくる所」と言う意味である。その名の通り、橋の上流側には『疏河龍潭』、『九鼎龍潭』と呼ばれる2か所に清流が湧き出ている泉があった。しだれ柳に囲まれた「潭(ふち)」は、玉龍雪山の雪解け水が溜まってできたもので、透明度の高い水中で小魚が泳いでいた。この水が村の家々を潤し、畑に水を供給しているのだ。まさに「命の水」なのである。
 この辺りから中和路を北に向かうと、かつての麗江地方の支配者、木氏の住居だった『大覚宮』と『茶馬古道博物館』がある。博物館の入口前の路地が工事中であったので、一部しか見ることができなかったが、茶葉の歴史、この地の歴史や文化に関する展示が主なものだった。
 大覚宮は明代後期の建物で、内部の壁には仏教画が6つ描かれていた。案内のお嬢さんは、「チベット仏教の影響が見られない」と説明してくれたが、浅学の私にはよく分からなかった。カメラも撮影技術も悪く、不鮮明な画像で申し訳ありませんが、それを吹き飛ばすような鮮やかで上品な蒼桃の花でお許しください。。

青龍橋
博物館への標識。道路工事中
茶馬古道博物館
茶馬古道博物館。茶葉の歴史、この地の歴史や文化に関する展示が充実している
大覚宮の壁画の紹介
大覚宮の壁画
バラ科の蒼桃の木
束河古鎮よ、さらば。扉を閉めさせていただきます