中国・雲南省 昆明市内

シャングリラから昆明に移動
 昨年(2013年)3月、インドの『コルカタ』からここ中国の『昆明』に飛んで3日間、市内に宿をとって近郊の『西山風景名勝区』、『石林風景名勝区』、『九郷風景名勝区』と、忙しいながらも楽しい3日間を過ごした。中国の歴史、伝統、観光資源に魅せられ、そして何よりも人々の心情、ホスピタリティに感動した。爾来(じらい)、「中国1か月旅行」が毎年のように続いており、本ブログの『新旅行記・アジア』にその一部を公開してきた。直近では、2014年3月に、いわゆる『茶馬古道』と呼ばれるエリアの町である『大理』→『麗江』→『シャングリラ』と巡り、前回のブログで、その一部をご紹介しました。今回は日程的にはこの流れを引き継いだもので、『シャングリラ』から『昆明』に移動した日から始まる。
 シャングリラからここ昆明に空路で移動した。シャングリラ空港へは空港バスが無かったが、タクシーで20元と安い。フライトも、シャングリラ発 08時50分→昆明着09時45分着と約1時間で定刻通りに着いた。
 昨年、『コルカタ』から新設のここ昆明長水国際空港に着陸した際、両替所が開いていない早朝に到着したため、空港で円から元に両替することができず、困っていたところ、タクシーのボスの差配で市内へ移動することができたことを思い出す。ボスを探したが見当たらず、「次の機会に」と、心に念じた。

昆明市内観光
 さて、昆明の中心近くにホテルを取ったので、市内観光は例によって遠くから攻めることにした。先ずは、市の北西約12キロメートルにある『筇竹寺(きょうちくじ)』を訪ねる。碑に記載された記録によれば、大理国(現在の昆明)の役人を辞した高光、高智兄弟によって建立された雲南地方で最初の禅宗寺院である。
 極彩色の五百羅漢像は大変な人気で、観光客でいっぱいである。1883年から1890年にかけて、四川から黎広修と5人の弟子を招き、政策を担当させたそうである。五百羅漢像は壁に沿って3段に配置されていて、段によって像の高さが異なっている。上段が1メートル前後、中・下段が1.2~1.4メートルの高さである。

筇竹寺。宋代に建てられた禅宗寺院
五百羅漢
五百羅漢
五百羅漢
大雄宝殿
筇竹寺

昆明動物園
 『筇竹寺』から『昆明動物園』に移動したのだが、迷ってしまった。方向音痴のせいと言うよりも、動物があまり見当たらないので、探して園内を歩き廻ったわけである。園内で大人が麻雀していたり、カラオケも。一般にイメージされる動物園と言うより、公園といった感じであった。            
 そうそう、小高い所に(対日)抗戦記念碑もありました。

昆明動物園
昆明動物園の案内図
派手なモニュメント

円通寺の歴史
 突然であるが、『南詔国』という国家(地方政権)を覚えていらっしゃいますか?先に、当ブログ『方向音痴の旅日記』-『新旅行記・アジア』-『中国・雲南省 大理(1)』 -『大理古城』の中で書いたのですが、唐の時代に統治されていた6つのグループを統一して、地方政権を樹立したチベット・ビルマ語系部族の王国のことである。
 これから訪ねる円通寺は、この南詔国の異牟尋王の時代(中国の王朝では唐代)に、ここに創建されたことに始まる。創建時の名称は、『補陀羅寺』であり、創建してから1200年以上の歴史を持つという名刹である。1255年に破壊され、1301年(源の大徳5年)の再建時に『円通禅寺』と改称された。現在は、地元では『円通寺』と呼ばれている。昆明で最も古く、最も大きな仏教寺院の一つである。
 円通寺は昆明動物園から坂道の円通街を歩いてすぐの所にあるせいか、そして裏は円通山を中心とする公園になっていて山頂からは昆明市街が一望できるせいか、子供連れも含めて多くの方々が訪れている。面白かったのは、門の前で数人の占い師がいて手相などを観ていたことだ。この種のことは好きな方だが、言葉が分からないので、他の方のやり取りを見て楽しんだ。
 円通寺の山門をくぐると、1668年に平西王の呉三桂によって建てられた『円通勝境』の牌坊が見える。円通寺は天王殿、大雄寶殿などが左右対称に配置され、池に囲まれた八角亭が一際目立つ。円通寺の特徴的な所は、山門から主殿にあたる円通宝殿に向かって坂を下っていくことである。主殿が最も低い場所にある寺院は、滅多に見られない。
 牌坊の先は天王殿で、正面には弥勒菩薩像が座り、背後に韋駄天像、左右に四大天王が安置されている。

円通勝境牌坊。一般に仏教寺は入り口から登っていくのが大半なのだが、ここは下っていく
弥勒菩薩
弥勒菩薩の背後に韋駄天
池の中心にある八角形の八角亭
円通宝殿(えんつうほうでん)

昆明老街
 雲南省昆明市中心近くの文廟直街・文明街・光華街の辺りに昆明老街がある。清の時代などの古い街並みであるが、現在は再開発中であり古い街並を模した新しい老街と言った感じである。土産屋や民芸品、雑貨屋や屋台などの店が立ち並び、食べ歩きや散策を楽しる。  

昆明老街
再開発中

雲南博物館
 雲南省博物館は、1958に東風西路と五一路の交差点に建つ雲南省立の総合博物館で、翠湖公園や金碧広場へは歩いて20分程度である。昆明老街にも近く、昆明老街のぶらぶらの延長でこの辺りまで散歩の距離を延ばす人々も多い。近くに、東風西路バス停があり、バスの利用にも非常に便利である。
 博物館の1階から3階までの展示総面積は約2400平方メートルを誇り、古代雲南省にあった古代滇国の青銅器や美術工芸品、仏教芸術品、少数民族の地方色豊かな衣装などが展示されている。
 最も有名なのは、『牛虎銅案』と呼ばれる青銅の像で、親牛が体の下に子牛を隠して虎からの攻撃を防ぐ迫力あるデザインが人気を呼んでいる。

東風西路バス停
雲南省博物館
雲南省博物館
『牛虎銅案』親牛が体の下に子牛を隠して虎の攻撃に抵抗している
雲南省博物館の端正な横顔は魅力的である
博物館側から見た入り口前の風景

雲南民俗村
 時間があったので、『雲南民俗村』に出かけた。以前に訪れた昆明郊外の『西山風景名勝区』から見ると、雲南省最大の湖で面積83ヘクタールの『滇池(てんち)』を挟んで東側に位置するテーマパークである。A1、24、44、73路バスのいずれかに乗り、滇池路にある『雲南民俗村』で降車すれば良い。私は、基本的にはテーマパークはあまり好みではないが、中国の少数民族について学習するには格好の場所である。
 雲南民俗村は、雲南省に住む25の少数民族の文化、風俗を展示、紹介している。敷地内にはそれぞれの少数民族の伝統的な村が作られ、民具や衣装が展示されている。園内では毎日15時00分から30分間、滇池大舞台で民族ショー「紅土郷情」や民族舞踊が演じられ、また、各民族の伝統儀式が紹介されている。学習と言っても深く考える必要はない。展示物などを見て文化の特徴を感じ、各民族(が考える)美女なるものの徳性を感じ、そして食事を味わう、という実に感性的な、ある意味“旅”するだけである。
 ここ雲南省に住む25の少数民族の文化、風俗の中から恣意的にいくつかの写真を抽出して掲載することは不可能であろうし、ある意味で傲慢でもあろう。旅人は、現地を訪ねて、おじさん、おばさん、子供達、そして歴史を重ねてきたじいちゃん、ばあちゃんから直截、話を聞くことが、“民族の真髄に触れる”一つの方法であろう。
 そうは言っても、200枚の写真がもったいないので、民族名を挙げずに、何枚かを列挙したい。

昆明・雲南民俗村入口
最初からこれである
熟練の技が目の前で

雲南、ありがとう
 昨年、インドのコルカタから新設の雲南省昆明の昆明長水国際空港に着陸したのが早朝だったので、空港で円から元に両替できない。持っていた元がタクシー料金に30元足りなかったため、空港から市内に移動できずにいたところ、タクシーのボスの差配で市内へ移動することができ、さらに予約しておいたホテルのスタッフから10元札10枚を貸してもらって、旅の命をつないだ。このあたりのことは、ブログの『昆明郊外(1)~西山風景名勝区~』の中で、『中国人ってこんなに優しいの? 』で記した。
 私は、1979年に家族とともに英国に住み、帰国後40年間ほど仕事で出かけたり、仕事の合間に時間を見つけては諸外国を旅してきた。年を重ねた現在はもっと自由である。中国は、2005年に『新疆ウィグル』を訪ねたのが初めてであるが、2014年頃からは毎年1か月ほどの期間で中国を訪れている。「沸騰するアジア」の代表格である中国の変わり様は目を見張るものがあるが、昆明に来て以来、日本で放映されているTV番組や報道を通して『イメージされている中国人?』に会うこともあるが、圧倒的に、「親切」、「思いやり」、「日本人へのホスピタリティ」、「気前の良さ」などを感じている。私よりも外国暮らしが長く、また、多くの国々を旅している娘達も同じような気持ちを持っている(らしい)。「この巨大で歴史の長い国、一言どころか、千の言葉をもってしても、中国の一部ですら語り尽くすことは難しい」ことは百も承知であるが、そのうえで、中国の人々と楽しく過ごせる私達は幸せ者だ。

幸せ者がもう一人いた
 ホテルのロビーでコーヒーを飲んでいた時、「ボンジュール。カフェ・アヴェック…」と、カップを持った40才くらいの男性に声をかけられた。私を日本人と認識しているらしいが、そして英語を話すフランス人も増えてはいるものの、一般的にはフランス人は、やはり日本語や英語では話しかけてこない。込み入った話でなく通常の会話であれば、自分で言うのもなんだが、フランス語はなんとか、…。彼はボルドーから来た男で、大の漫画好きなのだ。私も学生時代にゼミの助教授(准教授)を漫画好きにしてしまったぐらい熱狂的な漫画好きなのだ。年頃が私の息子と同じくらいに見えたので、『グレンダイザー』、『ガッチャマン』と当てずっぽうに話を振ったところ、彼は飛び上がって喜んだのだ。そして、私も飛び上がるほどびっくりした。な、な、なんと、1978年『ゴールドラッ ク』 (Goldorak)とタイトルを変えた「UFOロボ・グレンダイザー」がフランスのテレビに登場していたのだ。そして、その後、「ハイジ」、「ガッチャマン」と…。二人とも、本当にびっくりして、コーヒーをこぼしてしまった。
 彼の住むボルドーから列車で約1時間の『アングレーム』郊外に『マンガ博物館』があること、毎年1月末に「アングレーム国際漫画フェスティバル」が開催され、過去に、日本の漫画も数多く受賞していることなど、わくわくする話を聞かせてもらった。
 受賞の話で盛り上がってしまって、そして彼の故郷のボルドーが話題になったので、ついつい、1997年9月にボルドーで開催されたある国際会議の第2回会議で私がメダルを受賞したことを口に出してしまった。その4年前の1993年10月にパリで開催された第1回会議に続いて、…と、余計なことまで。あ ーあ。

昆明最後のぶらぶら
 今回泊まったホテルは、金馬碧鶏広場に面する所にあり、メインストリートの金碧路、あるいは金碧公園も近い。金馬碧広場に近い『忠愛坊』という城門が華美な姿を強調するように建つ。この辺りが繁華街である。南側に500メートルも行けば、このブログに何度も登場した南詔国時代(未詳~902年)に建立された西寺塔と東寺塔がある。西寺塔は829年(唐の宝暦3年)に慧光寺(西寺とも呼ばれた)の主要な建築物として建立された高さ31メートル、13層のレンガ造りの仏塔である。1499年(明の弘治12年)の地震による倒壊後再建、1983年に再修復の歴史を持つ。
 東寺塔も西寺塔と同じ年に建立されたが、…、詳細は省かせていただくが、1882年(清の道光13年)の地震で倒壊後、同じ形に再建された。約40メートルの高さである。
 『忠愛坊』近くの繁華街に戻る。明日の移動に備えて、「英気を養うため?」である。「英気を養うって何を言っているのだ?」。「マッサージ」です。この通りは路上に椅子を置いて、全盲のマッサージ師が15分で20元の料金で『路上マッサージ』をしてくれる『マッサージ通り』なのだ。カセットテープで音楽を流してくれるので、「随分サービスが良いな」と思っていたら、実は、全盲なので、時計を見ることができず、歌1曲で時間を計っているのだ。賢い方法だ。そして、指の感触で10元札かどうかを確認していた。体が軽くなってすっきりした。
 「ありがとう」。「ありがとう、昆明、ありがとう、雲南の皆さん」。「またね」。

東寺塔。西寺塔と同じく南詔国時代に建立された十三層のレンガ造りである
『忠愛坊』と名付けられた城門。この辺りが繁華街になっている
路上マッサージ。15分で20元。カセットテープで音楽を流し、歌1曲で時間を計っている。紙幣は指の感触で分かるらしい